安政東海地震が発生江戸時代後期の1854年12月23日、熊野灘の遠州灘沖〜駿河湾を震源とする巨大地震安政東海地震が発生しました。旧暦嘉永7年11月4日熊野灘和歌山県紀伊半島南端の潮岬から三重県大王崎にかけての海域駿河湾静岡県に属し、伊豆半島先端にある石廊崎〜御前崎を結ぶ線より北側の海域M8強と推定される大地震は、東海道三島宿(静岡県)にあった宿内が一軒も残らず倒壊する被害を出しただけでなく、静岡県御前崎では0.8m〜1mも隆起する地殻変動が発生しました。地殻変動をも起こした大地震は、当時日露和親条約締結交渉のため来日し、下田沖(静岡県下田市)に停泊していた蒸気船 エフィム・プチャーチン氏を乗せたロシア軍艦が津波の影響で大破するなど各方面に甚大な被害を出すことなりました…。1847(弘化4)年頃〜1859(安政6)年頃にかけて連続して発生した巨大地震や自然災害の影響は幕府の力をも著しく衰退させただけでなく、東海トラフ一帯を含め巨大地震は短期間のうちに連発する可能性があることを現代にも示唆していると警鐘が促されております。