神を愛するってどういうこと?申命記からの小さな気づきこんにちは、石川尚寛です。この前、夜遅くに帰宅したとき、家の灯りがぽっと迎えてくれる瞬間がありました。誰もいない部屋なのに、不思議と安心して「帰ってきた」と思える。小さな灯りなのに、心が支えられるような感覚でした。その経験が、なぜか申命記の言葉に心を向けさせてくれました。申命記6章5節には「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」とあります。ヘブライ語原文では「בכל־לבבך ובכל־נפשך ובכל־מאדך」(ベコル・レヴァヴカ、ウベコル・ネフェシュカ、ウベコル・メオデカ)と書かれています。ここで使われている三つの言葉は、それぞれ人間存在の異なる層を表していると知りました。「心(levav)」は古代ヘブライ語では感情だけでなく、思考や意志の中心を意味します。つまり、考えや選択のすべてを神に向けること。「魂(nefesh)」はもともと「息」や「生命」を表し、存在そのものを指します。命そのものを神に委ねること。「力(me’od)」は直訳すると「非常に」という副詞ですが、ここでは持てる力や資源、行動を意味します。日常の行動や具体的な力を神に向けること。この三つを並べることで、申命記は「部分的な愛ではなく、存在のすべてを神に向ける」ことを強調しているのだと感じました。僕にとっては、灯りに安心を覚えたあの瞬間のように、全存在で「ここにいる」と応答することが、神を愛することの小さな入り口なのかもしれません。まだ僕はその方法を完全に理解しているわけではありません。でも、この聖句を通して、愛は感情だけでなく、考え方、命の使い方、日々の行動まで含まれるんだと少しずつ学んでいます。これからも申命記を読みながら、自分の心と行動を重ね合わせる練習を続けていきたいと思います。気になった方は、ぜひAmazonで「創世記 マンガ 石川尚寛」と検索してみてください。無料で読めますし、続きもどんどん公開しています。#モーセ五書マンガ#申命記から学ぶ#無料で読める聖書