#自分を感じる・考えるということ#自分の理性と冷静さ人が複数人いる状態で会社や組織など、集団が一つのまとまりをもって同じ方向性に向かって行動する時、そこにはリーダーや責任者という人が存在することがあります。これは一つのまとまりや一つの方向性として行動するにあたって、効率的かつ必要な機能として存在しています。リーダーや責任者というのは、行動や結果に対する責任を負うことに加えて、複数人という多種多様な存在を把握した上で管理や伝達など多種多様な一人一人が集まった集団をまとめること、そしてさらにその場の状況や状態を俯瞰(ふかん)し把握・管理した上で考え、総合的に適切な答えとして判断するという役割があります。この役割のハードルと負担の多さにリーダーや責任者を自ら目指す、志望する人はとても少ないと思います。もちろん、これは慣れというより総合的な状況・状態把握として、どこでどうラインを引いてどのような判断をするのか、といったセンスなどもあるので適材適所が求められる側面もあると思います。…これは社会的な場面においての話。ですが、一人一人の内面においては、実は自分自身が自分自身をいつも俯瞰(ふかん)していて、全体的な状況・状態を把握した上で決断・行動しています。例えば、決断や行動について、目の前の状況を優先するのか、あるいは、目の前よりも長期的な持続性を優先した決断や行動するのか、など、様々な選択を私たち一人一人は常に行ってきています。…実はこれが難しいところ。というのも、リーダーや責任者など、社会的に実際にしている人ですらも苦戦している人だって多くいるのかも。何故ならそんなに完璧な人であれば既にその人自身が神様的存在として多種多様な複数人の集団ですらも一人一人見透かしていて、日常生活レベルですらも寄り添えているはずだから。常に一分一秒の中で、いわゆる“自由”と言われている状況において、把握から決断・行動というのは多種多様あるといえど、総合的なものの中から“適切”というラインの引き方や、結果としての“適切”という評価の仕方やあり方など、簡単なようでとても高度なセンスが、一人一人の生き方に常に求められているのかなと感じています。…つまり、言いたいこととしては、一人一人の、一人一人なりの知識、経験、理性などがどれだけ一人一人の自分自身の生きやすさに繋げられるのか。というところが生きやすい生き方として大切になる一つなのかなと思います。そんなに考え込む必要はない。短期的、長期的、、そんなに恐れなくてもいい。無理しなくたっていい。自分の好きのまま、あるがままとはちょっと違う。自分を整理して手放した時、自分で自分自身を冷静に見つめて自分を感じたり考えられるようになった時、その先に自分自身に対しての柔軟な行動と結果がある。ということ。…今はまだ少し難しくて、言語化しづらくて、言語化したとしてもみんなに伝わりにくいところ。文量や表現的にも。だから今はまだ難しいかもしれない。分からない人も多いかもしれない。いや、多いと思う。でも、一つ一つ整理していく中で分かる気がする時がきっとくる、、はず。一人一人にとって、一人一人の多種多様ある人生の中で、何かのヒントになりますように。#人生を生きるということ#理性と自分と智慧#青色の空。