13歳の夏 右耳に激痛が走った診断結果は「真珠腫性中耳炎」中耳炎を繰り返しながら耳の周りの骨を破壊する病気治療虚しく 聴力は戻らなかった右耳は 今もほぼ聞こえない周囲に打ち明けると 誰もが"ウソだろ…"と驚くほど難聴のハンディを全く感じさせない 「右耳がだめでも左耳がある」そう笑い飛ばした母の強さと優しさに支えられた彼の宝物は中古の白黒テレビ…歌番組では振り付きでマネし姉とふたりで笑い転げた中学校では 人前でものマネをする快感を知った 教室で 近所のスナックで彼のものマネは喝采を浴びた右耳が聞こえない分左耳に意識を集中し 目で観察したまた 母譲りの楽天的な性格がその後の人生を切り開いたのだそして芸能生活40周年を過ぎた…彼の芸名は「コロッケ」あの明るい笑顔の裏側にあった知られざる背景と『思い』そんな生家の家訓は「あおいくま」"焦るな "おこるな "威張るな"腐るな "負けるな幼いころ母が部屋に張り出した教えを胸に 謙虚に芸を磨いた母さんが教えてくれた「まけるな」は"人に負けるな"ではなく「自分に負けるな」であった…素敵な逸話であります#コロッケ#日本芸能大賞