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どーしましょ
美しい故郷いつまでも(*˘︶˘*).。.:*
ちょっとジブリっぽくない?(*´艸`)










詩🦋☪️
壮大な自然
人類が決して叶うことのない自然
私はこの世界が大好きだった
新宿は御苑があるじゃん!ってよく言われる
規模が違うのさ
自然に育まれたものだから野生動物も沢山出る
本当に空気が綺麗で
嫌な事を忘れられる場所だった。
愛おしいのさ、この故郷が
また、帰りたいな。
#故郷






takashi.A
#おつかれGRAVITY
#焼肉
#埼玉県
#故郷





March of Mephisto (feat. Shagrath)

タック
やっと着いたード田舎
相交わす自動改札じゃない
駅も昔のまんまーここだけは変わらない
嫌になって飛び出した記憶がよみがえる




Sekka
さてアパート帰らないと
3時間の運転…頑張れ旦那[ほっとする]
#イマソラ
#故郷





しば
電車のベルが「Forever Love」だった!
#館山
#YOSHIKI
#故郷
#XJAPAN



がっちゃん
昨日義父の白木位牌とお骨を迎えに行ったら、公団住宅の小さな花達が入れ替わってました。
昭和の高度成長期に千葉県では数々の公団住宅が建設され、市内にもあちこちに団地があります。
五年前初めてここに義父母を連れてきた時は5月でケヤキの葉っぱをすり抜ける風が爽やかで義母が「👵気持ちの良いところだねえ」と言ってたのを思い出しました。
最初両親共にここに住んでもらうというのも考えたけど、義母がどうしても京都の自宅から離れたくないと言ってたので、結局義母だけサ高住に入ってもらうことにし、義父が一人でここに住むことになりました。
エレベーターが後付けされてて、停止階に部屋が空いてたのでここにしたけど、段差も多いしそんなに広くもないので不便かと思いましたが、
同じ棟の方と顔をあわせれば喋ったり、ウォーキングがてらスーパーをハシゴしてネットで調べたレシピで料理したり、
寂しいと言いながらもそれなりに義父はここでの生活も楽しんでいました。
義父宅内には京都のマンションを購入した時の書類がまだそのまま置いてあって、中を見たらなんとも懐かしいパンフレットが[びっくり][びっくり][びっくり]
主人に見せたら「おぉ〜これこれ!!」とかつての実家の間取りを見つけて喜んでいました。
2人のパスポートも一緒にそのまんまで置いてあって、中の写真がまあ若いこと!![大笑い]
他の写真は義父が自宅を売却した時に全部中の荷物も処分したので残ってないんです。
明日は叔父叔母達にも見せてその頃の思い出に浸ってもらいたいと思っています[照れる]
また、今回は義父母が愛用していた旅行鞄も一緒に里帰りしました。
もう家はないけど、懐かしい京都の空気に触れさせて上げたいです。









はな。


ゆきだるま
#故郷



ぷいぷい
熊本よかとこばーいっ




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k(CV:五ェ門)
それを見て、1月4日の夜、母がマニキュアを引いたのを思い出した。
私が知るかぎり初めての母のマニキュア。
四十九日法要の際、叔父に聞かせたら、驚いていた。叔父にとっても意外な話だったのだろう。あの母がマニキュアなど引くなど考えられないと。
その後のあさイチで、小田原の特集コーナーがあった。
昔、母とふたりで小田原に立ち寄ったのを思い出した。
父の墓参りに合わせてのことだった。
樹木希林が映画で登場した茅ヶ崎館に泊まったのも、この時だった。
映画で使用された部屋だったと思う。
小田原は、私の中でも印象に残っており、移住先候補の一つとして考えていた。
小田原市の作成したPR動画も何度か見た。
しかし、肝心の母が先にいなくなってしまった。
私は今、まさに、故郷喪失者だ。
自分の居場所、戻る場所がない。
少し前まで、あちこちに、住みたいと思える場所があった。
けれども、どこもかしこも、今となっては、現実感がない。
母が生きていて、はじめて、自分が住む場所を選べる。
どこを旅しても、戻るべき場所があった。
どこに住んでも、戻るべき場所があった。
かつて母が暮らしていた場所は、今やただの街だ。
喪失を意識せざるをえぬだけ、なお苦しい。
ふわふわしている。
自分がここにいると、地に足がついていない。
#あさイチ #虎に翼 #小田原 #認知症 #故郷

も ° 🐰̽̈ 💘1
やっぱ建物が低いのが生まれ育ったから安心してまうんよなぁ〜w
#京都 #久しぶり #故郷 #なつかし


k(CV:五ェ門)
発着時間を見ると、故郷の自宅への到着時刻も思い出されてくる。
芋づる式に、色んな記憶が蘇る。
私の人生において、今後、帰省というものは、起こり得ない。
これが最後の帰省だったんだ。
#帰省 #故郷

k(CV:五ェ門)
今日は母の家。いつも躊躇う。その言い方で良いのかどうかと。
名義上は紛れもなく母のものであった。そして、住民票上も、この家の世帯には母しかいなかったわけだから、母がひとり暮らす家だった。
それでも、かつては我々子どもたちが共に暮らした家であり、母は、この家に帰省した私に、いつも
「自分の家なのだから」
と言い聞かせた。
しかし、母亡き今、弟、妹は、この家を潰す方向で考えている。
私は、一度はきちんと方針を協議せねばならぬと言っている。
それに対し、弟は、「もうこの家には住まないと言っていたではないか」と私をそしる。
「何を今更になって方針転換するのか」とでも言わんばかりに。
「母が自分亡き後、この家をどうしたかったのか、母の意思がまずあって、次に我々の方針だろう」
そう返し、まずは遺言の存在を確認することが先決と主張するのがせいぜいであった。
結果、公正証書遺言はなかった。
母の葬儀後、叔父一家の半ば思いつきの提案により、この家に残る膨大な母の蔵書をどのように有効活用するかという課題が私の中に生まれた。
ブックカフェ。
この家を改築し、ブックカフェがやれないか。
カフェを経営している昔の先輩を訪ね、話を聞いたりもした。
しかし、今のところ、弟や妹からは、母の蔵書の扱いについて何も話が出てきていない。
このように、本来はきちんと色々決めねばならぬことがあるはずだが、私自身、この家にある過去の私の品々について、なし崩し的に急き立てられるように、早く撤去せねばならぬとの思いに駆られている。
こういう見切り発車的な動き方は、本来の私のそれではなく、本音としては不本意ではある。
弟や妹も、この家ではない場所で生活しているという意味では私と変わらない。それは承知しているが、私がここを失うことは、故郷喪失と同義だと感じている。その認識まで、彼らは私と思いを共にしているのだろうか。
私が自らを称した「祭祀承継者」の呼び名について、これ幸いと、弟妹もことあるごとに私の代名詞として使用する。
昔の考えにならえば、私は本家といったところだ。
しかし、弟にしろ、既に戸籍を離れた妹にしろ、私のいるところを故郷と認識することなどなかろう。理屈の上でも感情面でも。
名ばかり本家、否、本家ですらない。
ただ私のいるところ、でしかない。
#故郷 #実家 #祭祀承継者

穴党✨

こむぎ
窓の外は白い。
わたしは雨音が好き
思い出すのは、
故郷の庭
#雨音 #郷愁 #故郷 #センチメンタル

片咲金城


ぺちょ
#小さな幸せ #愛媛 #東温市 #故郷 #雰囲気


ふらっとさん
そして想像していたよりもずっと、自分は故郷のことを知らない。
やっぱり1回地元を出てみて良かったなと思う。
色んな違い、特色、風習。
文化の違いを知って初めて、生まれ育った場所の新しい姿が見えたなと。
思ってたよりも私は地元愛が強いこともわかったし、今いる所にも、故郷へも出来る範囲で貢献したいって思うようになった。
ってわけで8月、地元に帰省することにした!
2週間位、ガッツリ地元でパワーチャージしてくる。
めちゃくちゃ楽しみだ〜
#故郷
#小さな幸せ

诶嘿!









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