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けい🕊

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正直者が馬鹿を見るのは、なぜなのか?

少し興味深いテーマだったので、自分の意見を書いて置こうかな。

もちろん、反論は認める。
批判も、受け入れる。


私の考える「正直者」とは、自分自身に従っている人の事だ。

でも「正直者が馬鹿を見る」の「正直者」は、ルールを守り、常識を重んじ、その事を誇りに思っているタイプの人の事を言っているように感じる。

私の感覚だとこのタイプの人が馬鹿をみるのは自然の摂理だと思っている。
だって「社会の常識」という曖昧で流動的な物に使い潰されることこそを、誇りだとしているんじゃないか、と感じてしまうから。
それで使い捨てられた、理不尽な目にあったと言われても、それは「新しい常識」や「社会の非常識」から馬鹿にされるであろうな、と。


では、馬鹿を見ない正直者になるには、どうしたらいいのか?

私は「世界の役に立とうが立たなかろうが、常識だろうが非常識だろうが、世界に貢献することを、自分の意思ですればいい」と思ってる。

役に立たないからやらないとか、
非常識だからやらないとか、
貢献したのに認めてもらえないとか、
そんな事を言っているうちは「社会常識の奴隷」だと思ってる。
奴隷でいるうちは、逆に、馬鹿をみる覚悟が必要だとすら思ってる。

自分はどうありたいか?
この感覚に従っている人こそが本当の「正直者」で、
正直者は、馬鹿をみることはないと、私は思っている。

馬鹿を見たくないなら、正直になるべきだと、私は思っている。

#持論 #異論は認める #批判歓迎
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けい🕊

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あー、失敬。
「正直者が馬鹿をみるのはなぜか?」を語るなら、こっちサイドもちゃんと言っておかなくちゃいけなかった。

なぜ「正直じゃない者」が得をしているように見えるのか?

これに関しては、私は
「常識」から外れてると判断した人の事を、多くの人が「弱者」だと見下すからだと思ってます。
なぜ外れたのか? について、個別で考えてくれる人は稀です。一律に「ダメなやつ」「病人」として扱います。酷い話です。

だからこそ、少し常識にそった事をすると「治ってきて良かったね! このまま完治を目指そう!」と言い出すのですね。

また、人は「面倒事」は避けるわりに、自分が「いい人」にはなりたい生き物なので、
治りそうだと感じるや否や「サポートするよ!」と手助けを買って出てくれるんですよね。

それこそ、精神的に参った経験がある人は覚えのある感覚ではないでしょうか?
本当に辛い時は離れていったくせに、ちょっと立ち直ってきた頃になって「なにかあったらなんでも言って!」なーんて言ってくる人。


では、本当に「素直じゃない者」が得をしているのか?

素直じゃない者は、多くの場合、そこまでの間に多くの人に嫌われています。
人を傷つけた過去がある事が多く、二度と関わりたくないと思われている場合もあると思います。

これは、この先、
自分の足を引っ張る人が多いということです。

さらに、上にも書きましたが、
そもそも見下されている事が多いです。
この関係から対等になるには、人並み以上の何かをしなければなりません。

もしくは、いちから自分のコミュニティを作り上げるしかありません。

サポーターが多いように見えるだけで、
本当に得をしている状態と言えるでしょうか?
私は、言えないと思います。


それでも、どんな人でも、
私は自分に正直に、幸せを追求するべきだと思っています。
どんなに足を引っ張られても、邪魔をされても、幸せになるためにもがくべきだと思ってます。

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