人気

ちぃー
(前の投稿の続き・・・)
会社に、欠勤の連絡を入れて、すぐに、消化器内科を受診しました。
たまたま、診察の後、患者がいなかったので、そのまま、食道・胃内視鏡検査をすることにしました。
内視鏡をしてみて分かったことは・・・
「食道・胃を繋ぐ幽門部に炎症所見があったこと(逆流性食道炎になっていたこと)」
「前日の夕食で食べたものが、未消化の状態で、胃の半分くらい、残っていたこと」
診察室にて、内視鏡映像を見ながら、先生から、こう言われました。
「これだけ未消化のものが残っていたら、気持ち悪くなるね」
と、言われました。
胃の運動を活発にする薬と、吐き気止め、胃酸中和剤が処方されました。
土曜・日曜日、食べるものを変えたり、消化優先でお粥などを、試してみますが、良くなりません。
9月1日月曜日、薬の効果ほぼなく、トイレと自室の往復の繰り返し・・・
お昼前に、再び、消化器内科を受診して、事情を話して、処方薬が変更になりました。
薬をもらった後、思いました。
「もしかしたら、精神的な問題かも知れない」
と思い、午後、精神科を受診して、主治医に説明して、
『この薬を増量したら、改善するかも・・・』
と言われ、既に処方されている薬を増やして処方、服薬することになりました。
多少、改善が見られ、1日だけ出社できました。
しかしながら、今起きている症状は、朝目覚めると、すぐに現れ始め、何の前触れもなく襲ってくるのです。
しかも、午後まで続くので、移動手段であるバスと電車には乗れません。
完全に治るのは、夕方以降なんです。
試しに、残薬としてあった向精神薬を服用したら、多少効果があったので、数日後、再び、精神科を受診→処方薬変更・・・
これを2回繰り返しました。
「早く、この症状から抜け出したい!」
しかし、どの薬も、効果が薄く、だんだん、通院するのも、億劫と言いますか、諦めに近い感覚に、なりかけ始めていました。
数日後、でも諦めきれず、精神科を再び受診したら、主治医から、
『コレなら効果があると思う』
と、処方された薬が、レボトミン(先発:ヒルナミン)という、向精神薬です。
ようやくでした。
翌日から、吐き気はあるものの、嘔吐は無くなりました。
しかしながら、この吐き気・嘔吐が約2週間続いたこともあってか、今振り返ってみると、いつの頃からなのか定かではありませんが、うつ状態になっていたみたいです。
未だに、吐き気が治まらない状態では、通勤できません。
その後も、起きられない、吐き気が続くなど、体調は悪く、欠勤を繰り返していると、上司から連絡があり、
『このまま欠勤が続くと、契約は更新できない。来週の勤怠で判断します』
と言われました。
翌週の9月16~19日の1週間は、無理をして、出勤しました。
その間、吐き気が出ないように、夕食は取りませんでした。
翌週月曜日の9月22日、とうとうアラームで起きることが、出来なくなりました。
起きる予定の約2時間後、目覚めて思ったことは、
「もう、無理かも・・・」
でした。
欠勤の間、ずっと疑念を抱いていることがありました。
「働いているのに、何でこんなに赤字なのだろうか?」
と思い、仕事を始めてからの支出を、計算してみました。
昼食費、飲料代、タバコ代、酒代、医療費(4医療機関と処方薬代・・・約34000円)
これだけで、収入より支出の方が、上回っていました。
「働く意味あるの?こんなに無理して・・・」
という、言葉が頭をよぎりました。
「仕事をさせてもらえない(暇な時間が9割近くあった)こと」
で、自信も失い、仕事が出来る喜びから失望に変わり、自尊心をとても傷つけられました。
某日、会社からの提案もあり、契約満了日付けで、自主退職しました。
振り返ってみると、就労支援事業所に2ヶ所合わせて、計1年10ヶ月通所しました。
でも、約20年間・・・
(就労継続支援A型事業所での、勤務経験有り)
は、社会で仕事をすることが、出来ませんでした。
20年無職・・・そのツケが、就職活動するものの、計25社、約5ヶ月の期間、2社以外、どこからも内定を取り付けることが出来なかった、一因になっていると思いましたし、雇ってくれた企業も、
『障害者を雇ったメリットが欲しかった』
だけの会社だったんだなと思いました。
ハローワークに不採用の理由、を企業側が伝えている場合は、教えてもらうことができるのですが、教えてもらう度、理由はいつも同じで・・・
『技能・経験・知識の不足』
と、なっていました。
余談になりますが・・・
就労移行支援事業所のスタッフからは、
『仕事を与えない。そういう企業もあるみたい。』
と、言うことを事前に聞いていました。
また、仲良くなって、連絡先を交換した就労移行支援事業所の利用者からも・・・
仕事を終えて、次の仕事の指示を仰ぐと、
『掃除してて・・・』
と・・・
どこにもゴミなど落ちてない床を、ただひたすら掃除させることが毎日続いて、精神的に参ってしまって、休職していると、連絡を受けてました。
その人は、その後、復職することなく離職しました。
最後に・・・
定着支援・面談は、良い制度だと思いますが、支援者は企業側に、強くは意見できません。
障がいを持つものにとって、障害者雇用は、素晴らしい制度だとは思いますが、低賃金です。
仕事をする上で、配慮して欲しいことが、何とか自分自身の工夫などで、解決できそうなものやことで、あるのであれば、障害者雇用ではなく一般雇用をお勧めします。
こんな長文を読んでくれて、ありがとうございます!

ちぃー
1ヶ所目と同様に、2ヶ所目の就労移行支援事業所も、すぐに週5日、オンライン通所して、そこの事業所で力を入れているCAD(パソコン上で図面を作成するソフト)の講習を受け、スキルを身につけられたので、希望する仕事の建築意匠設計のCADオペレーターの求人を5社受けてみましたが、書類選考で落とされ、面接までいきませんでした。
並行して、訪問看護の看護師が勧めてくれた、在宅勤務の仕事や、一般事務の仕事にも、応募しました。
しかしながら、在宅勤務の求人は、特に倍率が高く、ハローワークに伺ったところ、どの求人も、80~100人以上の、応募がありました。
長時間、電車に乗れないという理由だけで、在宅勤務の求人に応募しましたが、面接を受けた印象としては、志望動機(理由)が弱いのかなと、感じました。
話しの順序が、先になってしまいますが、就職活動を約5ヶ月した中で、内定をもらえたのは・・・
○一般雇用のスーパーの正規雇用
○障害者雇用の6時間勤務で本社総務部の一般事務(パート・アルバイト)
だけでした。
学生時代、長い間、小売店での接客経験があったので、勤務はキツいかも知れないけど、一般雇用のスーパーでの勤務をやってみようと思い、いざ、内定後、書類一式を受け取り、確認すると、その中の1枚が、損害賠償に関する誓約書で、連帯保証人もつけないとならないものでした。
そのことを企業の担当者に確認したら、
『保証人になってもらえない方は、保証会社を利用してください。』
と言われました。
保証会社を調べてみると、年間約5万円掛かることが分かり、そんなお金は払えないので、内定を辞退しました。
結局、数ヶ月後に内定をもらえた、本社総務部の一般事務の仕事をすることにしました。
たくさん面接を受けて感じたことは、面接の時に、就労移行支援事業所での事を、ほとんど聞かれなかった事でした。
うち数社、事業所でのことを聞かれることはありましたが、どこも同じで、内容は・・・
『通所率』
ただ、それだけでした。
ブランクが長いことがネックと言うかマイナス印象でしかないから、少しでも面接官への印象を良くするためだけに、就労移行支援事業所を利用しました。
今振り返ってみて、思うのです。
それは、果たして、高い費用を、税金から捻出してもらって、通所した意味があったのか?と、疑問を抱かずにはいられません。
通所することで、リズムを作り、就職を目指す・・・
事業所によっては、プログラムとして、安定した状態を維持できるようなことを教えてくれたり、最近では、ITに特化した事業所も、出てきました。
でもそれだけなら、就労移行支援事業所に通所しなくても、自分で勉強したり、朝から起きて、図書館に行くとかすれば、できることだったのではないか?と思うのです。
利用する共通のメリットは、就職活動を助けてくれることだと思います。
履歴書や職務経歴書の書き方や添削をしてくれることや、事業所によっては、模擬面接(練習)するところもあります。
面接時、障害者雇用で企業側が了承すれば、スタッフが同伴・同席してくれます。
求人に関しては、事業所によって異なりますが、企業から直接求人がくることもあります。
でも、基本は、ハローワークや求人サイトで、求人募集を自分で探します。
余談ですが、就職エージェントもあります。
いくつか登録、面談しましたが、
『現在、ご紹介できる求人はありません』
でした。
分かったのは、紹介を受けられるのは、離職から復職までの期間が短い方や、資格など仕事に直接関係のあるスキルがある方向け、なのかなという印象です。
就職後、就労支援事業所がおこなってくれることを話します。
就労移行支援事業所は、就職後6ヶ月間は無料で、定着支援(面談)を受けられます。
その後、定着面談を受けるかは、本人の意思で、決められます。
それまで利用していた就労移行支援事業所で、定着面談も受けられる場合が、ほとんどだと思いますが、別の就労定着支援事業所に、依頼することも可能です。
なお、サービスを継続・変更する場合は、市区町村の障害福祉課で、サービス開始の手続きが、必要になります。
また、これは就労移行支援事業所と同様ですが、前年の収入に応じて、サービス利用料が、発生する場合があります。
定着面談とは、月に一度、自分と、就労移行支援事業所のスタッフと、企業側の担当者で、話し合いをします。
仕事についての事や、体調や、仕事に関する様々なことなど、話し合いができます。
自分の時は、3者同時ではなく、まず、
担当者とスタッフ→スタッフと自分→担当者とスタッフ
でした。
企業側に直接言いにくいことも、スタッフを通して、担当者に伝わるので、もちろん逆のこともあるのかも知れませんが、定着面談を受けていて、良かったと思います。
ここからが、本題になります。
5ヶ月間の就職活動の末、就職が決まり、某医療系商社の、本社総務部での一般事務で、11~18時の6時間、アルバイト・パート勤務の障害者雇用で、3ヶ月の試用期間契約で、スタートしました。
7月15日9時より、入社オリエンテーションが行われ、午後から、総務部の部署で、挨拶・自己紹介、上司等への挨拶をしました。
お昼休憩を1時間取り、13時より最初の仕事、
『郵便物の受け取り・仕分け』
を、入社して15日しか変わらない先輩と一緒に、集合ポストまで、郵便物を受け取りに行き、各部署・担当者別に仕分けします。
一見、簡単だろうと思っていましたが、部署の書いてないものが多く、また、担当者名がないもの、社長宛なのに、そうせずに別の担当者へ渡すもの・・・と、複雑なんです💦
その先輩が作成した表も、企業別に細かく書かれていましたが、先輩曰く、まだ未完成なものらしく、とにかく分からない・・・💦
しかも、DMに関しては、自己判断で、
『その担当者にとって、有益ではない物は、捨ててください』
と、言われました。
一瞬、
「えっ!自己判断!?その担当者が捨てれば良いのでは・・・?」
と思ってしまいました。
『郵便物の受け取り・仕分け』が終わり、上司より、
『社内研修の専用サイトがあるから、それを見て、勉強してください。』
と言われ、今まで、そういった研修を受けたことがなかったので、一から見て、勉強しました。
こんな感じが、数日過ぎた頃、先輩から、
『社内便の整理』
と、
『配送伝票の発行と印刷の遣り方』
を教えてもらいました。
入社して2週間は・・・
『社内研修』
13時の『郵便物の受け取り・仕分け』
16時までの『社内便の整理』
随時依頼される『配送伝票の発行・印刷・発送物へ貼付』
この4つが仕事になりました。
『社内研修』も、役職がある方向けになったので、終わりにして、上司にその旨伝えて、
「仕事はありませんか?」
と伺うと、
『今はないな』
とのこと・・・
「それじゃあ、この後、何しよう??」
状態でした。
数日が経過して・・・
『電話応対』
の仕事が増えました。
面接の時に、
『電話応対、出来ますか?』
と尋ねられたので、
「苦手ですが出来ます。」
と答え、
『掛かってくる電話は、社内電話が殆どだから』
と、説明を受けていましたが、実態は違いました。
1割は、確かに、社内からの電話でした。
でも、殆どが、営業の電話でした。
しかも・・・
『社内外共に、担当者に繋ぐ前に、内容を確認し、その内容を伝達すること』
と、
『担当者名が言えない営業電話は、担当者へ繋がない、つまり断る!』
というものでした。
『断り方など教えてはもらえないまま、電話を受ける』
ことも、仕事の一つになりました。
後日、上司から、
『契約書の押印と印紙依頼の処理』
の遣り方を教えてもらい、仕事が増えました。
それで、仕事内容は・・・
13時の『郵便物の受け取り・仕分け』
16時までの『社内便の整理』
随時依頼される『配送伝票の発行・印刷・発送物へ貼付』
随時手元にくる『契約書の押印と印紙貼付の依頼の処理』
『電話応対』
この5つ・・・これだけなんです。。
通院日に、精神科の主治医に、この事を話したら、
『仕事しないで、給料もらえるんだったら、良いじゃない!』
と、言われる有り様でした。
「何も分かってくれない」
そう思いました。
ほとんど、やる仕事がない状態が1ヶ月過ぎ、定着面談の日が来ました。
定着面談で、就労移行支援事業所のスタッフに、ありのままを話して、
「仕事を増やして欲しい」
と要望していることを、担当者に伝えてもらいました。
翌日、別の先輩から、仕事の依頼がありました。
簡単に説明すると、
『月末締めで行い、営業車に車載されている運行システムの日報データを、所定のフォーマットに加工して、各部署別に作成・不要なデータは削除、又は、非表示にして、作成する』
という仕事でした。
試しにやってみると、4時間ほどで終わりました。
定着面談で、担当者には伝わったのでしょうが、結局、増えた仕事は、これだけでした。
入社して間もない頃は、障害者雇用だし、
「まずは職場環境に慣れるため」
だと、自分に言い聞かせてきました。
でも次第に、色々と他の人が、どんな仕事をしているか、分かってきて、入社が15日しか変わらない先輩と、自分との仕事量の違いに、悩み始めます。
悩みと共に、
「自分がこの会社にいる存在する理由って?・・・俺、居なくても良くない?」
と思うようになり、それだけではありませんが、不満など、それらの思いが、日を追うごとに増していきました。
8月を過ぎた辺りから、朝、目覚めると、吐き気に襲われるようになりました。
8月中旬、精神科と糖尿病内科の主治医に、
「朝、起きると、吐き気が酷くて、困っている」
と訴えたのですが、それに対する薬は、どちらの主治医、共に、処方されることは、ありませんでした。
自分も、
「吐き気は30分くらいで治まるから、大丈夫・・・」
と言い聞かせ、仕事を続けていました。
8月下旬、参加した歓送迎会で挨拶する機会を頂いたので、
「何でもやりますので、仕事をください!」
と、総務部全体の社員に、懇願しました。
が、仕事が増えることはありませんでした。
自分なりに見つけた仕事は、続けてましたが、数分で終わるものばかりで・・・他にやることがありません。
歓送迎会から数日経った、8月29日の金曜日、朝、目覚めると、また、吐き気に襲われました。
いつものように急いで、トイレに駆け込み・・・
嘔吐・・・
また、嘔吐・・・
嘔吐しても、吐き気も止まりません。
5分、10分・・・30分・・・1時間
自室とトイレと往復・・・その繰り返し・・・
「さすがに、これはおかしい!」
(次の投稿に続く・・・)
おっちゃん(みつお)
#LITALICOワークス
#定着面談
関連検索ワード
