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みや🍀🏠
産後で実家にいて、こどもは生後20日くらい。まだちっちゃくてフニャフニャ
家に叔父夫婦が急にきて、
実家に寄ったらみやちゃんが赤ちゃん産んだって聞いたから〜!って。
わたしと叔母はこどもの枕元で話しをしてて、
父と叔父は居間でおしゃべりしてて、
母はご飯を食べていってもらおうと、台所で調理してた。
ガツン!って大きく揺れて
ガツン!ゴツン!と揺れ続けて
どうしていいかわからなくて
家が壊れるんだと思って
寝ている赤ちゃんに覆いかぶさって
そしたら私の上に叔母がさらに覆いかぶさってくれて
叔父は逃げろ!って言って外までの通路を確保して
父は母のいる台所へ行って
どうやって火を消したかわからないけど、揚げ物をしていたから、後から怖くなったのを覚えてる。
揺れが小さくなってきて、やっと外に出たんだと思う。
揺れが止まって、あ~終わったって思って
家に入った。ら。
ガツン!ゴツン!グラン!
当時余震なんて言葉あった?
とにかく、当時公務員の叔父は叔母と急いで職場に。
わたしたちは家の中の散乱したものを片付け、ライフラインを確認。
電気水道は生きてるけど、ガスはとまった。
カセットコンロもあるし、レンジもあるけど、お湯が心配。なんせ母乳が出ない。
とりあえずあるものを食べて避難所へ行った。
後ろがフルフラットになる、姉の軽自動車で。(いつ帰ってきたのか覚えてない)
もう暗かった。
避難所には和室があって、そこは小さい子とその保護者が優先で入れるって聞いた。
わたしは赤ちゃんを抱いて入ったが、もう足の踏み場もない、は言いすぎだけど足の踏み場しかない状況だった。
部屋の隅にちっちゃく座るだけで精一杯。
こんなの一晩どころか3時間でもムリ。
父、母、姉も休める状況ではなかったと思うが、みんなわたしとこどもを一番に考えてくれた。わたしは自分と赤ちゃんのことで精一杯だった。
家に戻った。
家で余震で揺れてるのか、基礎が歪んだのか、感覚がおかしくなったのか、常に揺れてた。
柱も傾いたみたいで、隙間だらけ。寒い。
その後のことはあまりはっきり覚えていない。
テレビをつけたら、叔父がいた。
あのとき急いで帰った理由がその時わかった。
わたしに覆いかぶさってくれた叔母の凛々しさの理由もわかった。
#ひとりごとのようなもの #中越地震

ひろ
大きな音と揺れに敏感になってしまいました
#中越地震 #新潟県 #新潟 #中越



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