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みゅんひ
癒やさないノン・スピリチュアル『モトの話』へようこそ。霊感ゼロでも【解かる】スピリチュアル理論です。
ここから先は「エキスパート編」です。
今まで
・入門編(モトはココロの材料、ニンゲンの三つのパーツ)
・初級編(ココロと感情の関係、モトあつめについて)
・中級編(レンアイやオカネとどう向き合うか)
・上級編(人生とは「何」か、どう生きればいいのか)
という話をしてきました。
この中でいろいろ「はっきり言えないこと」があったのですが、エキスパート編ではそれらすべての解説をします。とてもテクニカルな内容になるはずです。
上級編のはじめに「テレビの構造を知らなくても、テレビ番組を楽しむことはできる」と書きました。そして上級編では「テレビ番組の楽しみ方」のような『ジンセイのトリセツ』を作りました。
ここから先のエキスパート編ではいよいよ「テレビの構造」のような話をしていきます。
#セカトリ

みゅんひ
回答数 44>>
わしは「ココロには材料と量がある」という研究を30年続けてきた者です。この“ココロの材料”である粒子に【モト】という名前をつけ、その性質とわしら人間との関わりを探ってきました……その結論が、さっきの「答え」なんです😊
わしが編み出した、新しい心のあり方の概念である#モトの話 では、ココロは「粒子の集まり、という実態のあるもの」だ、とします。そしてその“量”の増減に応じて、ココロは「感情」という行動の指針を出してきます。
ココロには、保持するモトの量が増えると、幸せを感じる仕組みがあります。ゆえに、わしらはココロのモトの量を増やそうとして、より“幸せを感じるような行動”を取ろうとします。
(くわしくはわしの投稿か本を読んでくれ😁)
この【モト】という粒子が「なぜ宇宙に存在するのか?」ということを突き詰めていくと、最終的に「なぜココロがモトでできているのか?」と同じ結論に行き着くことが分かっています(くわしくはこのまえ#セカトリ に書きました)。ですから、わしらがどうして生きているのか?の答えが、先ほどの
『モトあつめをするため』
(=ココロの量を増やして幸せに暮らす)
になっちゃうんです😁
どうやって集めるのか?(≒どう生きる?)ということについても前に書いていますので、気になる人はどうにかして投稿か本を読もう😅DMも受け付けてますよー😊



みゅんひ
ではさらに深く、この【神さま】の気持ちを探っていきましょう。
キリスト教の旧約聖書に、神が人類を作るまでの物語が書かれていることはよく知られています。その中の有名なフレーズに、
「神はご自分にかたどって人を創造された」(創世記1:27)
というものがあります。
これは神話ですが、モトから考えられる【神さま】についてもこれと同じことが言えます。僕たちのココロはモトの集まりですので、モトそのもの(=モトの集まり)である【神さま】を僕たちサイズまで小さくしたもの、つまり
【神さま】の相似形
が僕たちである、と言えます。
旧約聖書と違うのは、これは「すべての生き物」に当てはまるという点が一つ(旧約聖書はあくまで人間が神に似せて作られたことを物語っています)、もう一つは「モトには個数がある」ので、僕たちが持っているモトの数が【神さま】にはとうてい及ばない、という点です。
#セカトリ

みゅんひ
入門編から上級編までをたっぷり使って書いてきたので、この「二番目のモトあつめ」という現象が「確かにある」ということは、おわかりいただけたのではないかと思います。
何度も書いていますが、これは
「ココロが喜んでいる(モトをたっぷり持っている)ときに、自分がジェネレーター(発生装置)になって、その場のモトの量をさらに増やす」
現象です。今だから書けますが、この『モトの量』というのは、当然
【有】の状態のモトの個数
という意味です。モト粒子そのものは空間の特定座標に固定されていて、増減しません。
僕たちが大好きな【愛】という状態も、この「【有】のモトの量」に由来するんです。【無】の状態のモトがいくらあっても、愛の状態になることはできません。
さてここで、次の二つの事柄がリンクするんです。
・宇宙はすべてのモトを【有】にしたい
・ココロはモトあつめがしたい=モトを【有】にしたい
宇宙がモトによる「構造」を持ったものであるとすると、これら二つが「偶然、たまたま同じ」であるはずがありません。絶対に、二つは何らかの
『共通の目的』
を持っているから、同じになっているはずだと考えられます。
…おっと、長くなってきたので続きは次回です。お楽しみに♪
#セカトリ

みゅんひ
ですから、まずはじめに「素粒子」ありきで考え始めたんです。僕たちのココロと、触れられる「物質」が宇宙に同時に実在するならば、共通の素粒子を持っているはずだ…という考え方です。
だからそういう「実在するはずの素粒子」に『モト』という名前をつけて、そしてこの『モト』の性質を探っていった、という順番で考えていったんです。これが『モト』が素粒子である、ということの根拠です。
話を戻しましょう……この『モト』に込められた二つ目の意味について。
実は…モトという粒子はなんと
『物体の移動』
を司(つかさど)ってもいるんです。モトという粒子の性質に基づいて、僕たちが「移動」と呼んでいる現象が空間中で発生する、ということです。
???だと思うので次回からもっと詳しく説明しますが、だからこそ、英語やドイツ語、フランス語などの
『moto』
という言葉の読みを当てました。動くもの、という意味です。
フフフ…エキスパート編らしい内容になってきました。続きは次回!
#セカトリ

みゅんひ
僕は粒子加速器を持ってませんし(笑)、そもそも使いこなせるほどアタマが発達していませんので、そちらは専門の学者様におまかせするとして。
僕のアプローチは「ココロというものが『実在』するのであれば、この世界にある「触れることのできる物質」と同じ源(みなもと)から発生していないとおかしい」という理屈からスタートしています。
なぜかというと、感情の源であるココロが「実際に存在する」のであれば、実在するための「何か」が必要になってきますし、そもそも宇宙というものがビッグバンで「無」から「有」の状態に急になったのだとするならば、その「有」の状態のなかに「生き物のココロ」も含まれていなければ、僕たちのココロというものは「実在」できないはずだ、と考えたんです。
(難しいでしょ?エキスパート編ですから…)
#セカトリ

みゅんひ
では一旦この『モトの話』シリーズはおしまいです。本当に長い間お付き合いくださってありがとうございました。
シリーズは一旦シメますが、僕はモトおじさんなので、これからもこの『モトの話』をどこかでやるつもりでいます。今まで書いてきたことは電子書籍やnoteにまとめていますし(宣伝したらアカンらしいので詳しくは書けませんが)、電子書籍を紙の本にする作業も進めています。ご興味があればぜひ探してみてください。
最後に…
『二番目のモトあつめ』は、たくさんの人がいっぺんにやればやるほど、増えるモトの【量】が多くなります。コンサート会場の熱気の話を思い出してください(初級編)。世界全体が常にああいう環境になれば、僕たち人類は全員が「幸せ」を目指しやすくなるんじゃないかと考えています。
もちろんいわゆる「全体主義」に走るのは良くないですし、そこは【アタマ】を使う必要があると思います。ゆえに、人類に今一番必要なのは
【アタマ】のトレーニング
のような気がしています。
このモトの話を読むこと、それそのものがいい【アタマ】のトレーニングになるでしょうし、その結果が『二番目のモトあつめ』につながるならこれほど素晴らしいことはないと思っています。
みなさんにモトがたくさんありますように!
お し ま い
#セカトリ

みゅんひ
このセカイの「シナリオ」には『監督』がちゃんとついている、ということです。だから安心して僕たち「役者」はシナリオ通りにやればいいということになります(シェイクスピアも「地球は舞台、我々は役者」という言葉を残しています。まさにそのとおりなんです)。
だけど…僕たちはシナリオを「知らない」ので、他人はあくまで「自分のコントロールできない存在」としか認識できないんでしたね。だから、上級編では
「他人がすることは、自分がするかもしれないこと」
と考えましょう、と書きました。
結局、これは構造上「そのとおり」なんですね。だって、僕たちという存在は、全員が「神さまが演っている」ものに過ぎないからなんです。天国の神さまから見ると、僕たちは「両方とも自分の指」にしか見えないんです(上級編参照)。
一方で、地獄の僕たちにはやっぱり「他人は他人」という風に見えるんです…とても良くできた「システム」だと思いませんか?
だから、これから先誰かの「イヤな面」を見たら「他人っていうのはよくできたシステムだなぁ」と考えて「この人がしていることは、自分がいつか別の人にすることかもしれないな」と、自分の人生の参考にしてみてください。そうすると「この他人」が「自分自身を傷つけている」ことがなんだか気の毒になってきます。
「他人がすることは、自分がするかもしれないこと」
誰かにイヤな目にあわされたと感じたら、これをよく思い出してくださいね。
#セカトリ

みゅんひ
こういう構造のセカイを「見守っている」のが、設計をした【神さま】だ、という話になりました。神さまは僕たちを常に見守っているんです…そして、ちょいちょい手助けをしてくれています(時間の修正についても、お話しましたよね)。
もしあなたの人生がとてもツラいものなんだとしたら(僕のものもそうでした…生きていることが本当に苦痛でした)、その苦しみには絶対に何らかの【関わりの網目】が絡んでいます。意味がある、ということです。もしかしたら、今の【関わりの網目】だけでなく、あなたが将来体験する未来の【関わりの網目】の布石や準備だったりするのかもしれません。
僕のリアルに血を吐きながらうまい棒だけで過ごした若い頃も、今この『モトの話』をするための布石だったと今なら分かります。それに、僕の父親は絵に書いたようなダメ人間でしたが、そういう人生も僕がこの『モトの話』を考察するための「反面教師」になっています。父親のことは大嫌いですが(今でも)、愛してもいます。嫌いと愛は共存できるんでしたね。
こういう「シナリオ」を常に監視して、ちゃんと『宇宙の終わり』につながるようにしているのが神さまなんです。だから神さまは多分
映画監督
のような存在なんです。
#セカトリ

みゅんひ
最後にもう一度繰り返しますが、ジンセイの正解は
『効率のいいモトあつめをすること』
この一点に絞られます。そのためのテクニックを、10ヶ月かけてじっくり説明してきました。
入門編では
・モトという「ココロの材料」があるよ
・ニンゲンは三つのパーツに分かれているよ
・モトは素粒子だよ
初級編では
・カンジョウが出るのはモトが「やり取り」されるからだよ
・カンジョウが出るときには「好き嫌いゲージ」が関係するよ
・カンジョウには「メカニズム」があるよ
・「メカニズム」を知ると、カンジョウとの付き合いが楽になるよ
中級編では
・恋と愛は違うよ
・恋は「カラダ」から出る気持ちだよ
・恋は「アタマ」でコントロールできないよ
・一方で愛は「アタマ」を通して出るよ
・愛は【モトの量】だよ
・愛は状態を表す言葉だよ、気持ちとは別だよ
・オカネはモトの劣化コピーだよ
・オカネを集めても幸せになるわけではないよ
・一方モトは集めると「必ず」幸せになるよ
・それがココロの「メカニズム」だからだよ
上級編で
・ジンセイには「意味」がちゃんとあるよ
・生きsiにに【大いなる矛盾】という仕組みがあるよ
・だからこの世は【地獄】だよ
・siんだら【天国】に行くよ
・【天国】は【両手じゃんけんのセカイ】だから【地獄】に来るよ
・時間は「流れていない」よ、終わりまですでに全部あるよ
・僕らは人生のシナリオを『体験する』ために生まれてくるよ
・命は本当は「一個」しかないよ
・その命が枝分かれした先っちょが君の命だよ【うにのトゲ理論】
・相手は自分自身だよ、あなたはわたしだよ
・こういう構造だから、究極のモトあつめは『許すこと』だよ
・許すためには「所作(しょさ)」があるよ
・「選びなおす→あきらめる→許す」だよ
・許せるものが多ければ多いほど人生は楽だよ
・まず自分自身を許すと楽だよ【自分ファースト】
こういうことを書いてきました。そしてエキスパート編ではこれらにまつわる「なぜそうなの?」全部に答えてきましたよね。
#セカトリ

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みゅんひ
※ご注意※
『モトの話』の最終奥義として【神さま】の話をしています。ですがこれは
・特定の宗教への勧誘
・創作した宗教団体への勧誘
・モトの話への信仰の要求
を目的としたものではありません。
癒やさない!だから【解かる】霊感ゼロのノン・スピリチュアル理論
『モトの話』
エキスパート編、ついに最終回です。
これまで長いことモトの話にお付き合いくださってありがとうございました。入門編で「ココロには材料と【量】があるよ」とお伝えして10ヶ月。やっとその理由をお話しできました。とても難しい話だったのではないかと思いますが、エキスパート編と題して遠慮なく書かせていただきました。
特に【神さま】という存在を宇宙空間の構造から類推する、という試みは史上初なんじゃないかと自分で思っています。
もちろん、これまでフィクションやスピリチュアルや宗教研究でこういった【神さま】についての考察はたくさん行われてきましたが、僕たちが毎日を営んでいる「現実」という側面でここまでしっかりとした考察をしたものはなかなかないのではないかと自負しています。
たった一人で30年も考えてきましたのでね…。
#セカトリ

みゅんひ
こういう構造なので、あなたがこういうことを知って
「神がなんぼのもんじゃい!わいはわいの生き様さらすんじゃい!」
と反抗することも織り込み済みです。そしてその果てに
「やっぱ神さまはおるんじゃのう…」
とさとるのも、もちろん織り込み済みなんです。神さまは時間のはじめから終わりまでのすべての生き物の一生を、同時に体験しているからです。
(天国では時間が「流れない」ことを考えると『同時』というのはちょっと語弊があるのは承知していますが、適当な言葉がないのでそのまま使います)
ですから、僕たちにとって一番「ラクしてトクする」生き方というのは
素直であること
だと、モトの構造から考えられます。他の人の気持ちに素直に寄り添うこと、そして何より「自分ファースト」です…自分の気持ちや考えに素直になりましょう。それが結局一番【有】のモトをたくさん生み出す生き方につながっていくはずです。
ですから、明るく素直に生きましょう!面白いことで笑って、嬉しいことで喜んで、世の中を観察してアタマを使って、理不尽なことに怒り、悲しいことに涙を流しましょう。そしてみんなでできるだけ二番目の
『モトあつめをしましょう!』
…というわけでそろそろこの『#モトの話』も終わりです。最後にとても大事なことをお伝えして、シメにしますね。次回もお楽しみに!
#セカトリ

みゅんひ
そのためには常に「素直である」必要があります。
自分に嘘をつくことはできないものです。なぜなら、自分自身というものは【両手じゃんけんの状態】だからです。自分自身なんだから当たり前です。
これはすなわち【神さま】に嘘をつくことができない、ということを意味しています。なぜならあなた自身が(すっかり忘れているだけで)【神さま】自身、【神さま】そのもの、現人神のような存在だからなんです。
大きな命のかたまりである「うに」本体は、もちろん自分が【神さま】であって、あなたを「演っている」ことを自覚しています。ですがトゲの末端であるあなたは「忘れている」状態に置かれています。
忘れているからこそ「おてんと様とて気づくまい…ククク」のような「こっそり」なにかすることができるわけです。でも、構造上【神さま】にはただの一つも隠し事ができません。あなたがやっていることは神さま自身がやっていることだからなんです。
実際問題、生物というものは全部がそういう構造で、また「空間すべてがモトでできている」ゆえに、宇宙空間全体の状態もそういう構造なんです。
つまり、やっぱり
【神さま】は「全知全能」である
といえます。知らないことが一つもないんです。自分の知らないことは、構造上起こり得ないんです。
#セカトリ

みゅんひ
これまで人類の歴史で、アタマの優れた『愛の先人たち』『モトあつめの達人たち』が、色々な「いいこと」を教えてくれました。たとえば
人に優しくしなさいとか。
自分を大切にしなさいとか。
人に施(ほどこ)しをしなさいとか。
オカネを大事にしなさいとか。
隣の人を愛しなさいとか。
人生は競争だとか。
…上級編で紹介したこれらの「どっちやねん!」という「いいこと」がその場その場で「どういいのか?」というのも、すべて
・二番目のモトあつめ(増やすモトあつめ)
に繋げられるかどうか、が基準になるはずです。
そしてそのときに、中級編・レンアイのトリセツでも書いた
「私が今【愛】なら、どうするだろう」
という【愛の問いかけ】が役に立つはずです。愛とはモトの量でしたね。今もしモトがココロにいっぱいあったら、どう振る舞うだろうか?それこそが二番目のモトあつめの入り口なんです。
#セカトリ

みゅんひ
モトあつめの方法そのものは【個別のドラマ】になります。だから個々人でその場その場で「上手にやってね」というのがモトの観点からのアドバイスになるのですが、それができないから困ってるわけですよね…
こんなときも、一つ前の上級編でたんまり紹介した「テクニック」が大いに役立つはずです。すなわち、モトあつめの種類
・一番目のモトあつめ(奪うモトあつめ)
・二番目のモトあつめ(増やすモトあつめ)
これらをきちんと【アタマ】でつかんで「自分が今どちらをやっているか」を自分自身で明確にすることが、第一歩です。
その上で、できるだけ自分も他人も『許す』ことで「二番目のモトあつめ」をやること、これがあらゆる個別のドラマに応用できる「モトの話」からの【個別のドラマ】に対するアドバイスになります。
#セカトリ

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