それは突然の出来事だったなぁ俺があの人の詩に感化されたのは。歌わせてほしいってお願いしたんだよねそれまでの関係性ももちろんあってのお願い他人の詩で歌うのはすごく難しいその詩の背景、気持ち、伝えたいことは作った本人にしかわからないものがある。でも詩も歌も受け手が常にいてその人の受け取り方がある要は受け手側から作るスタンスどういうふうに受け取ってこういう意味なのかな?こういうこと伝えたいのかな?って試行錯誤してメロディを考えて作る。普段の作曲する工程よりも大変になるだから俺は他人の詩で歌うことは自分への挑戦だと思ってる。作詞した人の思いをどこまで表現して聴かせられるか。作詞する時間は減ってもいい意味でのストレスが倍以上。頑張った結果、全て自信溢れる曲に仕上がったって思ってる。ちゃんと聴いてくれてる人にも伝えられてるなって。そしてその自信がまた自分自身だけで作る歌にも活かされてると。こないだの羽角祭での演者は誰1人軽い気持ちで作曲したわけでなく、自分の心削って歌ってる。背負って歌ってる。間違いなくそれがゲスト側にも伝わってた。音楽は自由な表現が前提にあるべきではないかと俺は思ってます。どっちがいいとかではなく、どっちもいいと。必ずしも自分自身の手で作らなければ思いは伝わらないなんてことはないと。他人の詩で作るからこそ伝わる思いも確かにあるんだと。好き、嫌いとは全く別次元の話です。それと作詞、作曲は「作って!」といって簡単に作れるものではありません。(プロはできないといけないけど笑)作詞作曲に限らず新しいものを作るということは何でも同じで大変です。作る為に自分を削っているんです。(必ず削るのは時間)そこは理解して頂きたい。依頼されることは嬉しいんですけどね笑長文駄文で申し訳ないですm(_ _)m#ひとりごと #グラビティアーティストを大切に