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kagenaカゲナ

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#カゲナ光と闇のはじまり

第6話(“守りたい”のその先へ)

カゲナの足元に、そっと風が吹いた。

 けれどその風は、ただの風ではなかった。

 昔、誰かに優しく撫でられた記憶を思い出させるような

 ――心の奥をそっとくすぐる、ぬくもりのある風だった。

 カゲナは、ふと目を伏せた。

「……守りたい、もの……?」

 浮かんできたのは、ありふれた日常の光景だった。
 笑い合うミレイナとクレアナ。
 むすっとした顔で魚をつつくリア。
 肉だけ持っていこうとするノクシア。
 そして、何も言わず、そっと背を押してくれた“母”と“父”。

 思い出したのは、力ではない。温もりだった。

 彼は拳をぎゅっと握った。

 胸の奥に、静かな光が灯る。それは怒りや憎しみではなく、「守る」という願いから生まれた小さな火だった。

「……僕は、僕の手で……あいつらを守りたいんだ!」

 その瞬間、黒く濁った空間がふるえ、世界が“色”を変えた。

 足元に広がっていた闇は、まるで生き物のように収縮し、形を変えていく。
 かつての暴走とは違い、それには確かな“意思”があった。
 意思を持ち、制御された――新たな力だった。

(制御してる? ……いや、変質させた……)

 ミレイナが、驚きをこらえながら目を細めた。

 突風のような衝撃が走り、風が爆ぜた。

 カゲナの背から、闇と光が交ざり合った一本の“牙”が現れた。
 それは剣でも槍でもない。彼の“願い”そのものが、獣の牙のような武器として形を成していた。

「目覚めたか……“願いの牙”」

 遠くでライゼンが、低くつぶやいた。

 その直後、森の外から上位魔獣たちの咆哮が響いた。
 それは威嚇ではなかった。まるで、彼を“試す”ような声。

 カゲナは、一歩前へと踏み出す。

「……来いよ」

 叫びでもなく、挑発でもない。
 ただ静かに――「逃げない」という覚悟の滲んだ言葉だった。

(カゲナ……こんな顔、初めて見る……)

 リアが、胸を締め付けられるような思いでつぶやく。

 結界を超えて、一際大きな魔獣が突進してきた。

カゲナは迎え撃つように、足を踏み出しその牙を、真正面に構えた。


  雷さえも弾き返すその巨体に、カゲナは空間の歪みと“牙”をぶつけた。

「カゲナ!! 下が――!」

 ミレイナの叫びが届く前に、雷光と爆風が一気に野原を吹き飛ばした。

 ――そして、数秒後。

 そこに立っていたのは、ふらつきながらも確かに大地を踏みしめる、ひとりの少年だった。

 その手には、鋭くも温かな“願いの牙”が握られていた。

「その“牙”……名を持つにふさわしいものだ」

 ライゼンが満足げに目を細める。

「“心牙しんが”――心に宿る願いの牙。強さの根にある、“守りたい”という意志の形だ」

 空が雷に裂かれる。

(“心牙”……それが、カゲナの力……!)

 リアが息を呑む。

 ミレイナは、ふっと口元を緩めて言った。

「やるじゃん、カゲナ」

「……へへ。けど、まだ終わりじゃないよな?」

「あんたが“牙”を持ったってんなら――こっちも本気出すしかないでしょ」

 ふたりが構える。

 その瞬間、遠くの空から“ピシッ”と何かが割れるような音が響いた。

「……まだ来る?」

「試練は、今始まったばかり。牙を持つ者たちが集い、世界はまた、ひとつ目を覚ますのだ」

 雷が咆え、風がうなる

――誰も気づかぬまま、カゲナの深奥で、ノクシアは静かに口角を上げていた。

(ノクの出番、もう少し後かな……?)

 雷の余韻が空に残る中、カゲナはふらりとよろめいた。

「……少し、休むよ。あとは――任せた」

 そう呟いた瞬間、彼の身体が揺れ、代わりに黒い影が浮かび上がる。
空気がふっと冷え、笑い声が影の奥から滲み出す。
ふふっ、ノクの番だねぇ。さーて、張り切っちゃおっかな〜


  ノクシアが現れた。

 彼女はすでにカゲナの“感覚”をいくらか引き継いでいた。空間の歪みや“牙”の動きを真似し、自由自在に闇を操り始める。

 舞うように地を駆け、笑いながら敵をなぎ倒していく。

「ふんふふ〜ん♪ このへんかな? カゲ、こう動いてた気がする!」

 リアは肩をすくめ、クレアナは警戒の目を光らせ、ミレイナは……口元に、うっすらと笑みを浮かべていた。

 ――その全部が、あたたかかった。

「えへへ、やっぱノク、この家、好きだなぁ……」

 だが、敵は次々と現れる。中には雷を帯びた亜種までいた。

 疲れが見えはじめても、ノクシアは倒れずに立ち続けた。

(……あんなにめちゃくちゃなのに、どうして……強いの?)

 リアは驚きを隠せなかった。

 最後の魔獣を倒した瞬間、ノクシアの膝が落ちた。

「……ふぇ、もうムリ〜……ノク、かっこよかった?」

 返事を聞く前に、彼女の身体は光に包まれ、再びカゲナの姿へ戻っていく。

 その顔には、満足そうな微笑が浮かんでいた。

 ――そして。

 ミレイナが前に出た。

「……やっと交代ね。待たされすぎたわ」

 弟の“牙”、ノクシアの戦い――それを見て、彼女の中の戦士が目を覚ましていた。

「ミレイナ……手加減は?」

「しない。……だって、もうあんた、“戦う理由”を手に入れたんでしょ?」

 彼女の手のひらに魔力が集まる。空間が鉄のように震えた。

 第二の戦いが、静かに始まろうとしていた。

 カゲナも構えようとする。けれど、何も起きない。

(……もう一度、あの牙を……!)

 だが、牙は現れなかった。力はある。けれど、それを形にする心の余力が、もう残っていなかった。

彼の手からは、何も生まれない。
ミレイナの気配が近づく――そのとき。
――音が、消えた。

 その隙を突くように――
カゲナの中、奥底で封じられていた“何か”が、軋むように歪んだ。

 ノクシアではない。カゲナでもない。もっと深く、もっと古い、もっと本質的な“悪魔の力”。

 それは、善悪も意志も持たぬ、ただ“在る”だけの原初の混沌だった。

「……え……まって、カゲナ?」

(これは……ノクじゃない、カゲでもない……“底の底”だ……!)

 闇が爆ぜた。

 瞳が深紅に染まり、黒い紋様が肌を走る。空間がゆがみ、大地が裂けた。

 理性を呑み込む衝動が、静寂を切り裂く――
――始まった。誰も止められない、暴走が。

跳ね上がる魔力、軋む大地。
 それは、もはや“力”という言葉では収まりきらない。
 拒絶し、破壊し、否定する。
 その魔力の奔流ほんりゅうは、まさに“世界を押し返す”本質だった。

 こっちの方が……削り取られてる!? こんなの、カゲの力じゃない……!

 ミレイナが叫ぶ。
 彼女の手には、構築途中の不思議なアイテムが浮かんでいた。
 それは剣でも盾でもない。光の結晶を組み上げたような、不定形の魔具だった。

 その構造は、まるで誰かの“記憶”を辿るように変化していく。
 
  指先すら触れていないのに、脳の奥に――“誰かの記憶”がささやくような声が、静かに差し込んできた。

 ――「まだ早い」
 ――「けれど、君が選んだのなら」

 ミレイナは小さく目を細める。

(……干渉してくるのはやめて。私は、あくまで“自分の手”でやる)

 魔力を込めた瞬間、アイテムは音もなく収束し、地面を滑るように空間を捻じ曲げた。
 暴走する力の方向を、逸らすための術式だった。

「制御不能です……このままでは――!」

 クレアナが鋼の羽根を展開し、闇の斬撃をすれすれで受け止めた。
 その直後、彼女の背から――異形の不思議な武具が顕現する。

 形容しがたい。刃のようでもあり、輪のようでもあるそれは、異界から漏れ出したような冷たい気配を放っていた。

 そして、その武具からも――確かに、“声”が聞こえた。

 ――「命令を。意思を伝えよ」
 ――「斬るべきものを定義せよ」

 クレアナは一瞬だけ目を閉じ、淡々と応じる。

「目標――カゲナ。対象、暴走因子。目的、封印。」

 すると武具が青白く光り、宙を切るように音を鳴らす。

 雷鳴が空を揺らし、光の翼が舞い降りる。
 雷の神獣――ライゼンが、空間を裂くように降り立った。

「“心牙”の反動……いや、これは違う。“本質”だ」

 その瞳に浮かぶのは、怒りでも焦りでもない。
 ただ、確かな“理解”。

「この力は“意志”では止められない。“絆”で封じるのだ!」

 ミレイナ、クレアナ、ライゼン。
 武器の名を口にすることはなかったが、それぞれが不思議な力を持つ“何か”と共鳴していた。

 空間が歪む。音が反響する。
 まるで、この場だけが現実から浮いているかのようだった。

(……この力、昔の“魔王”に近い。けど、もっと荒れてる……!)

 クレアナは冷静に、異形の武具を操作しながら魔力を一点に集中する。

(ダメ……これ以上、あいつに背負わせたくない……!)

 ミレイナは、武具の中から聞こえる声を無視しながら、弟の姿だけを見つめていた。

(少年よ……ここで喰われるな。“願い”を思い出せ……!)

 ライゼンの雷が空を裂く。

 そして――

 すべての想いが重なった瞬間。

 暴走の中心から、かすかな“声”が響いた。

「……まも、りたい……」

 小さく、震えるような、けれど確かな声だった。

 その言葉が、暴走の嵐に一瞬の“隙”を生む。

 ライゼンの雷がそこを貫き、クレアナの武具が風を裂いて突き刺さる。

 そして――

 爆風のような衝撃と共に、すべてが静かに止まった。
――誰も、声を出せなかった。
そこに倒れていたのは、ひとりの少年。――カゲナだった。

 身体は傷だらけで、呼吸は浅い。
 けれど、その表情には、どこか安らぎが宿っていた。

「……バカ。……もう……」

 ミレイナが歩み寄り、崩れ落ちるように膝をつく。
 不思議なアイテムは音もなく光に還り、手元から消えていった。

「生存確認……意識なし。けれど……心は、壊れていない」

 クレアナが、冷静に武具をしまいながら報告する。

 ライゼンはゆっくりと天を仰ぎ、つぶやいた。

「……越えてみせろ。おまえが選んだ“願い”を、その手で、もう一度。」
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第7話(ノクシアがいない夜、未来の扉)3
食事と会話
しばらくして、共用スペースの大きな机に食事が並んだ。
 煮込み肉の香り、焼き魚の匂い、香草の蒸気が部屋いっぱいに広がる。

「わっ、この魚……骨が多い!」
 リアが小声で文句を言いながら、器用に箸を動かす。

「文句を言う前に、ちゃんと味わいなさい」
 ミレイナは淡々と魚を口に運び、無駄な所作ひとつ見せない。

「鉄分も多いですし、消化にもいいですよ」
 クレアナは真面目に説明を続ける。その堅さにリアがむくれ顔をし、場が少し和らいだ。

「……クレアナ、食事中でも先生みたい」
「知識は力です。軽んじてはいけません」
「はぁい……」
 そんなやりとりに、微かな笑い声が混じる。

 その中で、カゲナだけは食欲がわかず、静かにスープをすすっていた。
 耳に届く声は心地よく響くのに、胸の奥にはぽっかりと穴が空いたような感覚が残っていた。

(……ノク。いつもなら絶対――肉だけ山盛りにして、魚なんか見向きもしないで……)

 思い出す。
 皿の肉を一気に掻き集めて、リアに「ずるい!」と怒鳴られ、口いっぱいに詰め込んでは「ノクの勝ちだ!」と笑う声。挙げ句の果てにスープをこぼし、クレアナに眉をひそめられて、しょんぼり肩を落とす――そんな騒ぎが、当たり前のように繰り返されてきた。

(……どうして、何も言わないんだよ……)

 呼びかけても返事はない。
 賑やかな食卓の中で、彼だけがひとり、静かな空洞を抱えていた。


クレアナからの告げ
食後、しばし和やかな時間が流れた。
 だが、やがてクレアナが箸を静かに置き、表情を引き締めた。

「――そろそろ、大切な話をしておきましょう」

 その声に、場の空気がすっと張りつめる。

「お二人には、数日後“島の学校”に行っていただきます」

 カゲナは手を止め、リアはぱっと目を輝かせた。

「学校? 絶対面白いに決まってる!」

 クレアナは頷き、言葉を続ける。

「ただし――入学の前に、いくつか段階があります。まず、能力や強さを測るための検査を受けてもらいます。その結果で、基礎クラスや指導者が決まります」

 一呼吸置いてから、声をさらに深めた。

「“島の学校”は、ただの学び舎ではありません。島全体が学びの場として造られています。街には知識を競う塔が立ち、森には魔獣と共に生きる術を学ぶ試練の小道があり、海では航海術と精霊との契約を、山では剣技と魔法の極致を試されます。そこでは、生きることそのものが授業であり、島のあらゆるものが師となるのです」

 リアは目を丸くして身を乗り出した。
「街も森も海も山も……ぜんぶが学校!? ――すごい、絶対楽しいに決まってる!」

 クレアナは小さく頷き、さらに付け加えた。
「それだけではありません。この家も特別に“学校”と繋がっています。結界を通じて、島の内部と直接つながる仕組みになっているのです。移動に不自由はありません。むしろ――選ばれた者しか、その道を通ることはできない」

 カゲナは思わず眉をひそめた。
「……つまり、僕たちはもう……」

「はい。すでに“学ぶ者”として迎え入れられている、ということです」
 クレアナの声には、淡々としながらも確かな重みがあった。

 リアは「ふーん」と小首をかしげながらも笑みを浮かべ、カゲナは逆に顔をしかめる。胸の奥に重たいものがのしかかり、言葉は出てこなかった。

「それに加えて、今回は特例です。“未来を見る魔王”に一度会ってもらいます」

「未来……を見る?」
 カゲナが思わず問い返す。

「はい。進むべき道を見定め、その力にふさわしい居場所を決めるためです。その者は、数多の世界を見通し、未来を示す存在。――その言葉ひとつで、人生の流れが大きく変わることもあるでしょう」

 リアは椅子から身を乗り出し、胸を弾ませた。
「未来が見えるなんて……! すごい、絶対に会ってみたい!」

 その隣で、カゲナは渋い顔のまま黙り込む。胸の奥でざわめきが広がり、目を逸らした。未来を見せられることが、自分の自由を縛るように思えたからだ。

「僕は……別に……」
 小さくこぼした声は、リアの無邪気な笑顔にかき消される。
 ――結局、何も言い返すことはできなかった。

 クレアナは二人を見渡し、落ち着いた声で締めくくった。

「――具体的な日程を伝えておきます。明日は能力検査と、“未来を見る魔王”との対面です。明後日は、学校生活に必要な物を買い揃える日。そして三日後――正式な入学式が行われます。そこからが、あなたたちの新しい生活の始まりです」

 クレアナは少し間を置き、さらに一つ大切なことを告げた。

「――そして、検査を受ける前に。お母様とお父様が帰ってこられます」

「……え?」
 リアが息を呑み、カゲナも思わず顔を上げる。

 母は長らく魔王の秘書として遠征に同行しており、父は魔王として任務に就いていた。
 その二人がそろって戻る――それは、ただの家族の再会ではなく、大きな変化の前触れを意味していた。



家族の話の余韻

 食卓に静寂が落ちた。
 リアは箸を握ったまま瞬きを繰り返し、期待に輝く瞳と、不安に揺れる影が交互に浮かんでいた。心の奥からは「やっと会える」という喜びがあふれてくるのに、その一方で「どんな顔をすればいいのか」「どんな言葉をかけてもらえるのか」――わからない未来に胸が締めつけられていた。

「やっと……会えるんだね……」
 小さくこぼれたその声は、喜びと震えを同時に孕んでいた。

 カゲナは胸の奥がざわつくのを感じた。
 再会を心から喜びたいはずなのに、頷くことができない。
 父が“魔王”であるという事実が、のしかかるように頭上に落ちてくる。
(魔王の子……僕は、そう呼ばれるのか……)
 その言葉が胸の内で何度も反響し、呼吸を重くする。
 期待よりも責任、喜びよりも重圧――その対比が心を締めつけて離さなかった。

 ミレイナは腕を組んだまま視線を伏せていた。
「……再会は、喜びだけで済まないわよ」
 その声には冷たさと、どこか覚悟を帯びた響きがあった。

 リアは不安げに姉を見上げた。胸の中で喜びと恐れがせめぎ合い、けれど言葉にはできず、唇をきゅっと結ぶしかなかった。



夜の静けさ

 その夜。
 皆が眠りについたあとも、カゲナは目を閉じても眠れず、ひとり布団を抜け出した。

 外に出ると、冷気が肌を刺した。昼間の熱はすっかり失われ、岩山に囲まれた野原を夜風が吹き抜ける。鼻をかすめるのは、まだ消えきらない焼け焦げた大地の匂い。草木の根元から漂う煙のような残り香が、静けさの中に不気味に混じりこんでいた。

 戦場に立つと、地面に黒い痕が広がり、そこから影がゆらめいていた。月明かりに照らされたその影は、生き物のように揺れ、時折形を変えてはカゲナの足元にまで伸びてくる。

「……」

 ただ呼吸をするだけで、胸の奥に重たい沈黙が残る。
 いつもなら心をかき乱す何か――ノクシアの声や気配があるはずなのに、今は妙に、静かすぎた。

 カゲナは拳を握りしめ、影に向かって小さく呟いた。
「……僕は、もう止まらない。どんなことがあっても……進む」

 その背後から、かすかな足音が近づいた。
 振り返ると、月光に照らされてミレイナが立っていた。

 彼女は影を見つめ、目を細める。風が吹き抜け、黒い髪が揺れる。
「……まだ消えていない」

 その声は低く、夜気に溶けていきながらも鋭い刃のように響いた。影がゆらめき、まるでその言葉に応じるかのように形を歪める。

 カゲナは息を呑み、姉の横顔を見つめた。
 言葉は交わさなかった。
 だが、その沈黙の中に確かに感じる――影は終わっていない、と。

 遠くで雷がごろりと鳴り、夜の風が冷たく吹き抜けた。
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第3話 (おかえりと、また明日)4

5 ──その後

地下1階の広い共有寝室に、家族の布団が並べられていた。
珍しく、全員が同じ空間で寝ることになった。

リアが楽しそうに声を弾ませる。
「まるで修学旅行みたいだね!」

ノクシアは、カゲナの身体のまま手をあげて笑った。
「修学旅行って、楽しいやつだよね? ノク、初体験!」

カゲナはぼそっと返す。
「……ノク、もう寝よう……」

「えー、まだ寝ない! いっぱい話したいのに!」

カゲナはゆっくりと目を閉じたが、ノクシアはそのままぺらぺらと話し続けた。

ノクシアは隣のリアに声をかける。
「ねえ、リア、今日のダンジョン、ノクたち、めっちゃ強かったでしょ?」

リアは悔しそうに笑う。
「くっそー、ほんとに悔しい。でも、楽しかったよ。……ノク、戦ってて、楽しいだけでやってる?」

ノクシアはくすっと笑った。
「ノク、楽しいのが一番大事だけど、カゲナが頑張ってたから、ちゃんと合わせてたんだよ?」

カゲナは目を閉じたまま、ぼそっと返す。
「……たまに……合わせてなかった……」

「えへ、バレてた? でも、半分くらいは合わせてたもん!」

リアは笑いながら返す。
「ほんとに仲いいよね。……ねえ、ノク、カゲナが寝ちゃったら、さすがに静かにしてね?」

「えー、ノク、まだ話すのに!」

そのやりとりを聞いていたミレイナが、ゆったりと横になりながら言った。
「ふふ、リアも元気だね。でも、負けたのは悔しいんでしょ?」

リアは素直に頷く。
「うん、次は絶対勝つ! ミレイナ姉も、片手だけだったけど、結構強かったよ」

ミレイナはふっと微笑む。
「でも、体術はやっぱり苦手。……ねえ、リア、今度は一緒に罠とか仕掛けて勝負しない?」

「いいね! ノクたちに絶対勝とう!」

ノクシアはすぐに乗ってきた。
「ノク、罠とか爆弾とか、すっごい好き! でも、どうせノクたちが勝つと思う!」

リアがクスクス笑いながら言う。
「ねえ、ノク、今度はノクと私が組んでみたいんだけど」

「えー、ノク、カゲナがいい!」

「ちょっとくらい私でもいいじゃん!」

「でもでも、カゲナが一番楽しいんだもん!」

ミレイナがそれを聞いて、くすっと笑った。
「ノクは、ほんとカゲナが好きだね」

「へへ、当たり前じゃん!」

「……まあ……」

ノクシアが楽しそうに騒いでいる間、カゲナは目を閉じたまま、内側でぼそっと呟く。

「……ノク、静かに……眠い……」

「もー、わかったよー。でも、ノクは話すの好きだから、少しだけね」

ノクシアはそれでも、布団の中でゴロゴロしながら話し続けた。

「あ、そうだ。ノク、明日ね、朝ごはんいっぱい食べたい! クレアナにお願いしとこう! ノクね、肉が食べたいんだ~」

リアが笑いながら返す。
「ノク、食べるの好きだよね。……っていうか、さっきいっぱい食べたのに?」

「だって、食べるの楽しいんだもん!」

ミレイナも優しい声で続けた。
「ノク、好きなこといっぱいあるんだね」

「うん! いっぱいある! 戦うのも好き、遊ぶのも好き、カゲナも好き!」

リアが笑って、隣で声をかけた。
「明日も遊ぼうね」

「うん! ノク、絶対行く!」

──しばらく、そんなふうにノクシアとリアとミレイナの三人が、あちこちで話し合っていた。

最初は、カゲナもぼそぼそ返事をしていたが、だんだん返事がなくなっていく。

リアがふと気づく。

「……あれ、カゲナ、寝た?」

ノクシアはカゲナの内側を覗くように声をかけた。
「ねえ、カゲナ、寝た?」

返事はない。

「……もう寝てる」

リアが、クスクスと笑う。
「ふふ、カゲナ、いつも寝るの早いよね」

「ノク、もっと話したかったのに!」

ミレイナは優しく笑った。
「まあ、今日いっぱい動いたからね。ゆっくり休ませてあげよう」

「うん……まあ、しょうがないか」

ノクシアは、布団をぎゅっと抱きしめた。

「……おやすみ、カゲナ。また明日ね」

リアもミレイナも、ゆっくりと目を閉じる。

──夜の静かな共有寝室に、家族の寝息が穏やかに響いていた。

クレアナだけは、うっすらと目を開けたまま、ノクシアとミレイナを交互に見つめ続けていた。

「安心しきるには、まだほんの少しだけ、慎重さが必要だった。
――この家には、悪魔も、強すぎる家族も、そして時々暴走しそうになる少年もいるのだから。」

けれど、この穏やかな夜は、確かにかけがえのない家族の夜だった。

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1話(兄妹の対話)


朝の光が、岩山の隙間から差し込んでいた。
世界がまだ眠る中、カゲナは目を覚ます。

静かな部屋で布団から立ち上がり、足音を忍ばせて階段を昇る。

たどり着いたのは、角張った屋根と木の柱だけがある開放的な空間だった。
ほぼ壁はなく、吹き抜ける風が心地よい。

目の前には野原と、“回復の泉”が広がっている。

朝の光を浴びながら、ひんやりとした空気がカゲナの頬を優しく撫でていた。

「……今日も、良い一日になるといいな」

 そう呟きながら、泉の縁にしゃがみ込む。
 透明な水に両手を差し入れ、顔を洗った。
 冷たさが目を覚まし、身体がしっかりと“現実”に戻ってくる。

 数滴の水が髪を伝って落ちていくのを感じながら、カゲナは静かに息を吐いた。

 

   ⸻

 地下へ戻ると、すでに食事の香りが漂っていた。
 共有スペースのテーブルには、パンとスープ、そして焼いた獣肉が整然と並んでいる。

「……朝からいい匂いだ」

 ぽつりと独り言をこぼしながら、席につく。

 椅子に腰を下ろし、スプーンを手に取ろうとした、その時だった。

『わぁっ! お肉だ~!! ノクも食べたい~~っ!』

 耳元に響く声。次の瞬間、カゲナの手がピクリと震えた。

 身体が、勝手に動く。
 右手がスプーンではなく肉に一直線。しかも――

「ま、待てっ……ノク、やめ――」

 ぐちゃっ

 肉にかぶりつくように突っ込んだ手。そのまま豪快に引きちぎろうとする。

『あははっ♪ やっぱ朝は肉だよねぇ~!』

 カゲナの中にいる悪魔、ノクシアが――勝手に身体を使って暴れていた。

 その瞬間、

 バチィッ!

 鋭い音が響く。空間がゆがみ、椅子の背後に突き立つ何かが“ピタリ”と停止していた。

 背後に立っていたのは、黒い服のメイド――クレアナだった。

「……誰が許可したのですか、そのような食べ方」

 その声は低く、冷たい。
 手には光る傘。先端は、いままさに椅子を貫こうとしていたところだった。

『えへへ~……ごめんなさ~い、ちょっとだけ、ね?』

 ノクシアの声が笑いに変わる。だが、その余裕はすぐに打ち砕かれた。

「許可は――していません」

 クレアナの目が、キレていた。

「や、やめて……クレアナ、落ち着いて……!」

 カゲナは急いで自分の意識を取り戻し、ノクシアを押さえ込む。

『うぅぅ……ひどいよぉ、お兄ちゃんまで冷たい……』

 ノクシアの声がフェードアウトするように消えていく。
 ようやく身体の制御が戻ると、カゲナは深いため息をついた。

「……ごめん、少し油断してた。朝からこれじゃ……しんどいな……」

「まったくです。食事のマナーくらい、覚えてください」

「僕じゃない……ノクが……」

 ぐだぐだになりかけた空気の中、ふわりと足音が近づき、眠たげな声が空間に落ちる。

「ふたりとも、朝から楽しそうね」

肩まで伸びた髪を揺らしながら、リアが現れた。
眠そうにあくびをかみ殺しつつ、スープの匂いに鼻をひくつかせる。

「……うん、楽しくなんか、ないよ。」

カゲナがそう答えると、リアはくすりと笑う。

「ふーん……また、抑え込んだんだ?」

「……ああ」

「ほんと、苦労してるね。――間魔げんまって、そういうもんなんだね」

その何気ない一言に、カゲナの表情がわずかに揺れる。
目の奥に、かすかに火が灯る。

「ノクはただの“何か”じゃない。僕にとっては、もっと…」

 低く、静かな声だった。

 リアは一瞬、驚いたように目を見開く。
 だが次の瞬間、すっと笑った。

「……そうかもね」

 カゲナはもう一度、椅子に座り直した。
 ぐちゃぐちゃにされた肉を端に寄せ、スープをすくう。

「……はは、今日も……いい一日になればいいな……」

 少しだけ強がるような声。
 けれど、その奥には、確かな意志が宿っていた。

 

   ⸻

 その頃、空はすでに淡く色づき始めていた。
 野原に立つカゲナの背に、ほんのりと橙の光が差し始める。

 空気が変わる。夜と朝の境界が、静かに溶け合っていく。

 ふと、カゲナは遠くの山を見上げた。

 ――あの頂の向こうに、今日という日が始まる。

 

 遠くにそびえる山のてっぺんが、朝焼けの空にゆっくりと溶けていくようだった。

 時の流れさえ、少しだけ止まって見えるほどに、静かな夜明け。
 
世界は国ごとに文化が異なり、技術や思想の発展段階もばらばらだ。
まるで、いくつもの時代がひとつの大地に混ざり合っているかのようだった。

そんな混沌とした世界の中心に、ただひとつ――
“多様性”と“平和”の象徴とも呼ばれる、超巨大都市が存在していた。

かつては魔王が統べていたその都市は、恐怖の名残を抱えながらも、いまや穏やかな日常に溶け込み、あらゆる種族と文化が肩を並べて暮らしている。

――その都市の外れ。
森と丘に囲まれた小さな集落で、ふたりの兄妹が駆けていた。

「ねえカゲナ、さっきの攻撃、もうちょっと斜めに出してみたらどう? 当たるかもよ」

 そう言ったのは、少女リア。肩までの髪をかきあげ、笑みを浮かべるその表情には、いたずらっ子のような自信がにじむ。

「……さあ……でも、リアは……少し手を抜いてたんじゃない?」

 応じた少年――カゲナは、黒髪に少し鋭い目を持つが、どこか憂いを帯びた瞳をしていた。

 ふたりは十四歳。
 人里離れたこの地で、魔物と自然を相手に生きてきた。
 礼儀も、世間の常識も知らない。ただ、戦いの中で互いを高め合う術だけを知っている。

 ――そして今日の訓練相手は、特別な存在だった。

「審判として見届けましょう。では、始めてください」

 そう言って立ち上がったのは、ひとりの少女――クレアナ。
 その見た目は少女そのもの。しかし、手にした傘を軽く傾けたその瞬間、空間がかすかに波打つように揺れた。

 圧倒的な存在感。
 この地で彼女に敵う者はいない。それは、かつて数々の世界を渡り歩き、多くの者に恐れられた“メイド”の姿だった。

 次の瞬間、カゲナが動いた。

 足元の空間が裂け、次元の歪みが刃となってリアを襲う。
 対するリアは、迷いなく杖を掲げた。背後に呼び出された炎の霊が彼女の魔力を増幅し、そのまま熱を込めた矢を放つ。

「くらいなさい、バカ兄!」

 空を舞う炎の矢が、空間の裂け目へと向かい――激突。
 炸裂する熱と歪み。爆風が地面を抉り、空気を震わせる。

 二人の力は拮抗していた。
 だが、それだけでは終わらなかった。

「……そろそろ、本気を出してもいい?」

 カゲナの声が、わずかに低くなる。
 その言葉の奥に、異質な“気配”が混じった。

 リアは、微かに目を細める。

「ノクシア……出てくる気?」

『ううん、まだダメ。ノクはまだ見てるだけ。お兄ちゃんがちゃんと戦えてるか、見てるんだよ?』

 頭の中に響く、幼さの残る高い声。
 カゲナの中に棲む悪魔、ノクシアが囁いた。

『今は、カゲナが戦ってるもん。ノクはそのうち交代してあげる~』

 その声に、リアは苦笑を漏らす。

「こっちもね、そろそろ――出てくるわよ」

 リアの瞳が、きらりと光を変える。
 彼女の内に棲まう“天使”の人格が、霊力とともに目覚めかけていた。

「もういい、ここまで」

 割って入ったのは、クレアナの声だった。
 静かに傘を傾けると、風が止み、空気が凪ぐように静まった。まるで、今起きた激戦が幻だったかのように。

「引き分け、ということでしょうね。おふたりとも、成長しましたね」

『……えー、ノクまだ戦ってないのにぃ……』

 ノクシアが不満そうに声を漏らす。

「十分です。次は、内側の戦いですから」

 「精神領域を展開する――」

クレアナが静かに傘を振り、宙に描かれた魔方陣が淡く光を放つ。
その光がふたりの身体をやわらかく包み込むと、ゆっくりと意識が沈んでいった。

 

   ⸻

光のない空間。音もなく、風もない。
だが、そこにはふたつの存在が立っていた。

一人は、悪魔ノクシア。
長い髪にいたずらな笑み。黒い羽根が背中で蠢き、可愛らしさと危うさを同時に持ち合わせた少女。

もう一人は、リアの中にいる天使。銀髪の青年。
透き通る瞳と、芯の通った声。静かな威圧感を纏い、右手には淡く光る剣を携えている。

「やっほー、そっちの男天使くん。今日こそノクが勝つから!」

「そうか。でも、勝負に必要なのは力だけじゃない。心もまた、戦いの一部だ。」

「うっ……なんか大人っぽい言い方ずるい~!」

ふざけたような口調とは裏腹に、ノクシアの瞳は鋭く細められる。
空間が黒く染まり、羽根が音もなく広がっていく。

天使もまた、剣を構えた。

「――始めよう。これは僕たちの戦いでもあるけど、彼らの未来にも関わるからな。」

「うん、負けないから!」

ふたりの間で、風も光もないはずの空間が静かに震え――
戦いの幕が、ゆっくりと上がった。
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#カゲナ異世界扉


#カゲナ光と闇のはじまり
シリーズのメイン小説です。
イラストや物語の世界をすぐに楽しめますっ

#カゲナショート小説1シーズン
メイン1章の裏話短いストーリーや世界観の紹介

#カゲナキャラクターストーリー
それぞれのキャラクターの紹介

#要点まとめカゲナ光と闇のはじまり
メイン1話ごとの要点と、キャラたちの想いや裏側をま とめています。
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#カゲナ光と闇のはじまり

第5話(かつての旅と、これからの牙 )

拳を握りしめ、地を蹴る。
風を切って、カゲナはミレイナに向かって突き進んだ。

その瞬間――胸の奥で、何かが揺れる。

(……ノク、貸してくれ。ほんの少しでいい……!)

ほんの一瞬、胸の奥に声が響いた。
『……まだ、早いよ。焦るな、カゲナ』
声か、感情か、それははっきりとしない。ただ、温かさと切なさが混ざったような響きだった。
それだけで、なぜか涙が出そうになった。

(……まだ、あの声が、胸のどこかで響いてる)

意識の底。
眠っているノクシアの力に、手を伸ばそうとした。
だが次の瞬間――

ぐらり、と世界が歪んだ。

「――っ……!」

足元から滲み出した黒い空間が、空気を揺らす。
けれど、それは力というより“暴走”だった。

制御できない。止まらない。

(……駄目だ。今の俺じゃ、ノクの力は……!)

歯を食いしばり、暴れる闇を必死に押し返す。
額に汗がにじみ、体中の筋がきしんだ。
それでも、カゲナは声を上げた。

「うおおおっ!!」

空間を歪めて手を振る。
その一撃は未完成で、不安定で、ただ空を裂いただけ。
けれど、それでもいい。

(構わない……俺は、俺の力でやるんだ……!)

ミレイナの闇が迫ってくる。
だがカゲナもまた、恐れず飛び込んだ。

何度も叩きつけられ、吹き飛ばされ、傷だらけになる。
足はふらつき、膝は震えていた。
それでも――彼の目は真っすぐ前を向いていた。

(……ノクの力に頼ってない。がむしゃらに、自分のままで……)

ミレイナの胸に、かすかな驚きと、そして小さな笑みが灯る。

「……いい目をしてるじゃん、カゲナ」

肩で息をしながら、カゲナも微かに唇を吊り上げた。

「ミレイナ姉……あの時、どうやって悪魔を……抑えてたんだ?」

不意にこぼれた問いだった。
けれどその言葉が、ミレイナの奥深くに眠っていた記憶を呼び起こした。

静かに息を吐きながら、ミレイナはゆっくりと立ち上がる。
苦笑いを浮かべたその目は、どこか遠くの空を見ていた。

「……抑えてなんか、いないよ」

「今でも、あたしの中にいる。“壊せ”“戦え”って……ずっとそう言ってくる。まるで手のかかる弟みたいにね」

「でも、もう怖くはない。ずっと一緒にいるから。長く付き合えば、少しは……話せるようにもなる」

(昔は怖かった。壊すことしかできなくて、泣いてばかりだった……でも、今は――)

ミレイナはふと、朝の空を仰いだ。
雲の切れ間から差し込む光が、優しく瞳を照らす。

「父さんと母さんと、一緒に旅をした。いろんな世界を見たよ」

「“音楽で魔法を操る世界”があった。旋律が風の色を変えて、聴くだけで心が救われるような、不思議で優しい世界だった」

「“空を泳ぐ巨大な生き物たちが星になった世界”も。彼らの記憶は空そのものに刻まれてて、人や世界のこと、何千年分の話をしてくれた」

「“神々がいる世界”も見たよ。姿はなくても、風が思考で語りかけてくる。不思議で、でも温かい場所だった」

そっと、拳を見つめる。

「“滅びたロボットたちの世界”も……忘れられない場所だった」

「誰も動いていなかった。ただ壊れた機械たちが、風に晒されながら静かに眠ってた。倒れたままでも、何かを守りきったような、そんな誇らしさがあった」


「……あたしの“相棒”も、そんな風に生きてた」

「生まれたときから、あたしの中にいた悪魔。言葉はいらなかった。存在だけで、全部伝わってきた」

「その子は、別の場所で……もういない。でもね、今もあたしの中で生きてるって思ってる。あたしが立ち止まらない限り――ずっと、そばにいてくれる」

「……最期のとき、その子は笑ってこう言った。『ミレイナ、進め』って。それだけで、全部救われた気がしたんだ」

風が静かに吹いた。
その声はまるで、どこか遠くの誰かへ向けられた祈りのようだった。

「だからね――あたしは、もう一人じゃないって思えるよ」


カゲナの胸が、じんわりと熱を帯びる。

ミレイナはまっすぐ彼を見つめ、言葉を紡いだ。

「あんたも、きっとなれる。強くなるっていうのは、こういうことなんだよ」

──地下の寝室。

ふと、リアが薄暗がりの中で目を覚ました。

(……なんか、変な音)

遠くで、低く唸るような音が鼓膜を揺らしていた。
その響きはじわじわと肌の奥に染み込み、不穏な気配をはらんでいた。

「……上、かな」

毛布を払って立ち上がる。

裸足の足が冷えた木の床に触れた瞬間、意識がはっきりとしていく。

寝室の扉を開け、通路を抜けて階段を駆け上がる。
一階にたどり着いた瞬間、外気が肌を打った。

(空気が……重い……。いや、“違う”)

朝の風が頬を撫でた。
そしてその先――異変が広がっていた。

広がる野原の向こう、結界の外。
森の縁に、巨大な影がいくつも蠢いている。

光る目、這い出す咆哮、足元を震わせる圧力。
それらすべてが、じわじわと境界を侵していた。

「上位種……あんな数……!?」

ゾッとするような寒気が、背骨を這い上がる。

(でも、まだいる……もっと、強い“何か”が……)

その時だった。空が鳴った。

雷が天を裂き、眩い閃光が野原を照らす。

「っ!」

風が巻き上がり、空間が震えた。
そしてその中心に――雷を纏った獣が降り立った。

「……ライゼン……」

白銀の毛並みをなびかせる神の使い。
ある少年を育て、“母”とも呼ばれる存在。
その圧倒的な気配に、リアは言葉を失う。

「牙を研ぐ者よ。見せよ……心のままに放つその力を」

その声は風に乗り、大地全体に響いたようだった。

結界の外にいた上位モンスターたちは、一斉に身を低くする。
本能的な敬意――神の使いに向けられた、恐れにも似た服従。

(どういうこと……見てるの? カゲナを……!)

ライゼンの瞳は、まっすぐ野原の中央――カゲナの方へ向いていた。

その視線に気づき、カゲナもふと顔を上げる。

雷の気配が、胸の奥にある“何か”と静かに共鳴する。
粟立つような感覚とともに、見えない問いかけが響いてきた。

(……あれは、誰だ……?)

ミレイナもまた、その視線に気づき、そっと口を開く。

「来たね。あの子は、雷の神獣――ライゼン。“牙”を見に来たんだよ」

「牙……?」

「強さじゃない。暴力でもない。“何を守りたいか”。それが、あんたの“牙”になる」

再び、空が鳴った。
だが、その雷には――不思議な温かさがあった。

そして、カゲナの胸の奥で――
確かな“何か”が、静かに芽生え始めていた。


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第7話(ノクシアがいない夜、未来の扉)1
焦げた大地に、風が吹き抜けた。
 雷鳴の余韻はもう遠く、残っているのは草木の焦げた匂いと、血のように濃い魔力の残り香だけだった。

 地表にはまだ熱がこもり、踏みしめるたびにじわりと靴底が焼けるように熱を帯びる。裂けた土の隙間からは細い煙が立ちのぼり、鼻を突く焦げ臭と混ざり合って胸の奥をむかつかせるように満たしていた。時おり、ぱち、と小さな火種がはぜる音がして、耳に不気味な残響を残す。

 その中心に、ひとりの少年が横たわっていた。
 カゲナ――。
 彼の胸は浅く上下し、かろうじて生きていることを示している。

 リアはその手を握ったまま、動けなかった。
 震える指先に伝わる体温だけが、兄がまだここにいる証のように思えた。

 ミレイナとクレアナは目を合わせた。
 だが、剣を抜くことも魔力を放つこともない。
 戦うべき相手がもういないことは分かっていた。
 それでも、二人の警戒心は解けなかった。
 この静けさは、ただ戦いが終わっただけのものではない――そう直感していたからだ。

 空に浮かぶライゼンもまた、雷を纏わず、ただ瞑目している。
 白銀の毛並みを風に揺らしながら、彼女は何もせず見守っていた。
 それは無関心ではなく、試すように、そして受け止めるように黙って立っているのだった。

 大地にはまだ熱が残り、焦げ跡からは煙が細く立ちのぼっている。
 その微かな音さえ、すぐに消え入りそうなほど辺りは静まり返っていた。

(……静かすぎる)

 リアは息を呑む。
 胸の奥に、説明のつかない違和感が広がっていく。
 耳を澄ませば、聞こえるはずの“あの声”がない。
 兄の中にいるはずの存在――いつもなら暴れてでも顔を出す、悪魔の気配が、影のかけらすら残していない。

(ノク……どうして、何も……)

 名を呼ぼうとした唇は震えただけで声にならなかった。
 だが、その沈黙はリアにとってかえって重く、恐ろしいものに思えた。

 ただ、兄の体温だけを確かめるように、リアは強く手を握りしめ、目を伏せた。




ライゼンの先導で、一同はその場を後にした。
 さっきまで敵のように見えていた魔獣たちも、牙を収めて静かに従っている。彼らは戦う相手ではなく――雷の神獣ライゼンと絆を結んだ“仲間”だったのだ。
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第4話 (悪魔は眠り、剣は踊る)

静かな朝――すべてが眠りにつく中、ひとつの戦いが始まっていた。
力とは何か。制御とは何か。
そして、自分だけの“強さ”とは。
カゲナは、まだ知らない「覚悟」と向き合うことになる。
かつて悪魔を宿し、今はひとりで力を制する姉。
すべてを読み、冷静に戦うメイド。
そして、力を求める少年。
――この朝、それぞれの“強さ”が交錯する。
第4話 (悪魔は眠り、剣は踊る)
静寂の朝

空気は冷たく澄み、まるで時間さえ止まったようだった。
家の奥からは、誰かの寝息が静かに響いている。

カゲナは目を開け、天井をぼんやりと見つめていた。
身体が重い。「疲労というより、心の奥に焼きついた余波」
昨日、精神の深層で交わった――ノクシアと天使の戦い。その余波がまだ、胸の奥に残っていた。

「……ノク、まだ……眠ってるのか」

そっと心へ意識を向ける。
返ってくるのは、沈黙。
静かで深く、まるで湖の底に沈むような気配だけが、そこにあった。

「……すごく、疲れたんだな」

小さく呟いて、カゲナはゆっくりと布団から抜け出した。
肌を撫でる空気はひんやりとしていて、思わず肩をすくめる。
階段を上がりながら、ただ朝の風に触れたかった――ただ、それだけだったのに。

けれど、目にした光景は、思考を一瞬で止めた。

「……これは……」

野原の中心で、ミレイナとクレアナが交戦していた。

空気が震え、草が斬れ、大気が裂けるような音が走る。

これは訓練なんかじゃない。
命と命が交わる、真っ向からの力のぶつかり合いだった。

クレアナの白い翼が揺れ、剣が風を切る。
その動きには無駄がなく、ただ静かに、美しかった。

「……“計算”終了です」

小さく漏れた彼女の声に、冷たい鋭さが宿っていた。
その瞳は、戦いの“先”を見据えていた。次に起こるすべてを、すでに見通しているかのように。

(これが……“計算”の能力。すべてを見切って、支配する)

冷静で、正確で、美しい。
クレアナの戦いは、感情のない機械のようでありながら、どこか惹かれるものがあった。

だが――

「いいねぇ。遠慮なく来なよ」

ミレイナの声は対照的だった。
愉しげに笑い、闇を纏いながら踏み込む彼女の足元には、暴走寸前の魔力が渦を巻いていた。
けれどそれを、彼女は抑えていた。
理性と本能の狭間で、危うく均衡を保ち続けている。

(……あの魔力、完全に制御してるわけじゃない……でも、それでも抑え込んでる。姉さんは、ひとりで)

クレアナが一歩下がると、ミレイナが空中に手をかざし、何かを創り出した。
音もなく現れたのは、小さな鈴のようなアイテム。
ふわりと宙に浮かびながら、一定の軌道を描いて舞う。

(……創造。姉さんの能力)

「武器はやっぱり苦手そうですね。でも、道具の精度は上がっている」

「ふん……武器なんて面倒。ああいうの、形がうまくまとまらないんだよ」

ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、彼女のアイテムは見事に戦況を操っていた。
創造――それは、戦いの中で戦場そのものを作り出す能力だった。

だが、その力を使えば使うほど、魔力の波は荒れた。

風がざわめき、地面が震える。

(やっぱり……限界は近い)

次の瞬間、クレアナが剣を捨てた。

「武器は不要。私自身が、“刃”です」

その腕が変形し、鋭い金属の光を帯びていく。
翼を大きく広げた彼女の姿は、まるで神話の武人――美しさと力の象徴だった。

(……クレアナさんが、本気を出した)

両者の力が衝突するその直前――

「……あの悪魔が、まだいたとしたら」

クレアナが静かに呟く。

「今のミレイナ様は、自分を抑えている。でももし、彼女の中に“あの悪魔”がまだいたなら……きっと、魔王すらしのいでいたでしょうね」

その言葉に、カゲナの胸がひりついた。

(姉さんは……今も、あの力と向き合いながら戦ってる。ずっと、ひとりで)

拳が、自然と握られていた。

「……僕じゃ、まだ追いつけないんだな」

そのとき、短い電子音が空気を割った。

「タイマー、終了」

ふたりの戦いが止まり、静寂が戻ってくる。

その中で、ミレイナがふとこちらを見た。

彼女の声は、どこか嬉しそうだった。

「見てたんだ、カゲナ」

その笑みには、嬉しさと期待が混じっていた。
彼女はすっと構えを取りながら、短く言う。

「よし、来な」

彼女の背後で、再び闇が揺れる。
その気配に、一歩も引かず――カゲナは、静かに前へ踏み出した。

……僕の力で、どこまで届くのか。
今度は、僕自身で試す番だ。
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第2話 (闇の羽、光の剣)

ノクシアの瞳が鋭く光を宿し、黒き羽根が大きく広がった。空間は闇に染まり、彼女の周囲には圧倒的な気配が立ち込めていく。

対峙する天使の少年もまた、静かに構えを整え、手にした光の剣を握りしめた。

「へへっ……前と違って、今のノクはね、“守りたい”って思ってるんだから」

そう告げたノクシアの声は、どこか誇らしげだった。その言葉に、天使の眉がわずかに動いた。

「……守りたい?」

「うん。前はさ、ただ戦うのが好きだった。勝ったら嬉しい、負けたら悔しい。それだけ。でも今は違う。ノクは、カゲナのこと、ちゃんと見てる。どれだけ苦しんで、強くなろうとしてるか……ノクはぜーんぶ見てきたんだよ」

黒き魔力が渦を巻き、ノクシアの羽根から滴り落ちた闇は地面に触れ、槍や剣のような影へと変わっていく。それは彼女の想いが形を得たかのように、鋭く、激しく現実を突き刺した。

「だから――今日は本気で戦う。勝って、“守るための強さ”を、ノクの中に刻むの」

天使は無言でうなずき、光の剣を掲げる。その静けさは、彼自身の覚悟の証でもあった。

「……いい覚悟だ。なら、僕も全力で応えるよ」

次の瞬間、疾風がふたりの間を駆け抜けた。影と光、闇と輝きが衝突し、空間が激しく揺れる。

ノクシアの戦いは、かつての彼女とは違っていた。奔放でありながらも、どこか洗練されていて――その羽ばたき一つひとつが、影を操り、攻撃を変幻自在に繰り出す。対する天使もまた一歩も退かず、光の刃で正確に応戦する。

一閃、影の刃が天使の頬をかすめた。

「ふふっ、ほんとは怖いでしょ? ノクが本気出したら、止まらないよ?」

「怖くなんかない。君が誰かのために戦ってる限り、僕は迷わない」

その言葉が、不意にノクシアの胸を突き刺した。

(……この天使、本気だ。でも……怖くない。むしろ……安心する。どうして? 戦ってるのに、なんでこんな気持ちになるの……?)

一瞬の戸惑いが、隙となる。天使の剣が迫る。

「っ……!」

ぎりぎりでかわしたノクシアは、着地と同時に深く息を吐いた。額に汗が滲む。それでも、彼女の唇には笑みが浮かんでいた。

「……ほんと、強いね。でも負けない。だって――ノクは、カゲナの力だから!」

再び闇の中へと舞い上がる。戦いは激しさを増し、光と影が交差する世界に、黒い稲妻が迸った。ノクシアの翼が大きく広がるたび、空間は震え、闇が深くなる。

「ほんと、強いね……でも、ノクは――まだ、負けられないんだ!」

その叫びとともに、ノクシアの身体から無数の影が放たれた。槍となり、剣となり、しなる鞭となって、天使へと襲いかかる。

「その理由を、僕にぶつけてみろ。全部、受け止めてやる」

影が一閃、天使の肩を裂く。血は流れなかったが、確かな痛みはあった。にもかかわらず、彼は微笑んでいた。

「君は変わったな、ノクシア」

「……変わったの、かな?」

ノクシアの動きが、ふと止まる。

「……怖かったんだ。あの子が成長していくのが。ノクがいなくても、ひとりで強くなれるんじゃないかって……それが、すごくさびしかったの」

黒い涙が、彼女の頬を伝った。それは“涙”ではなく、闇の感情が結晶化したもの――心の奥底から零れ出た、想いのかたちだった。

「でも、違った。カゲナは……ノクのこと、ちゃんと必要としてくれてる。ノクもね、それに応えたいって……やっと思えたの」

天使は、静かに剣を下ろした。

「――なら、もう十分だ。君はそのままで、もう強い」

「……ううん。最後までやる。だって、カゲナが“任せた”って思ってくれてるなら、ノクは、絶対に応えなきゃ」

ノクシアは両手を広げた。背後に広がる影の翼が、これまでで最も巨大な魔力のうねりとなって膨れ上がる。

「来て。これが――“今のノク”の全部!」

「受け止めるよ」

ふたりの力が、再び激しくぶつかり合う。光と闇の衝突が世界を揺らし、精神世界は崩壊寸前にまで達する。

だが、その中心にあったのは、静かな“理解”だった。

……

やがて、ノクシアは仰向けに倒れていた。黒い羽根が、静かに地面に落ちていく。

「……ふふ、ちょっとだけ、勝ったかな」

彼女のそばに立つ天使は、傷だらけのまま、やわらかく笑っていた。

……光が弱まり、静寂が訪れた。

天使の少年は、そっとノクシアを見下ろしながら、ぽつりと呟いた。

「君が、変わっていく姿を見て……僕も、怖かったよ」

彼は空を見上げる。その目に浮かぶのは、かすかな寂しさと温かさ。

「ずっと“戦う理由”が欲しかった。誰かを守りたいって思える日が、来るなんて思わなかった。……でも、君と戦って、それが何かわかった気がする」

視線を戻すと、ノクシアの黒い羽根が小さく揺れていた。

「ありがとう、ノクシア。僕も、君を忘れない」

「君の“心”が勝っていた。だから、僕も気持ちよく負けを認められる」

「じゃあ、またね。今度は、もっと強くなってるから……ノクのこと、ずっと見ててよね?」

──そして、すべてが終わったあと。

ノクシアは、ゆっくりと目を閉じる。
心に残ったのは、痛みではなかった。温かい何かが、確かにそこにあった。

(……戦うだけが、力じゃないんだね)

遠ざかっていく光の中で、彼女は静かに微笑んだ。

(次は……もっと、カゲナのために笑ってたいな)

羽根が消えていく。やがて、静けさだけが残る。
けれどその沈黙すら、今のノクシアには心地よかった。

光がふたりを包み込む。ゆっくりと、精神世界が閉じていく。

その光の中で、ノクシアは微笑んでいた。

──戦いを終えたノクシアが目を開けると、そこは確かにいつもの現実だった。

けれど、周囲を見渡した瞬間、違和感が走る。

ノクシア:「……時間、動いてない?」

木の葉は、風に揺れたまま止まっている。遠くの水面も、一滴も波紋を描かない。

ノクシアはゆっくりと手を伸ばす。

すると――動いていなかった葉が、彼女の指先に触れた瞬間、時間が再び流れ出した。

(……今の、何だったの?)

その瞬間だけ、世界に“誰か”の気配があった――そんな気がした。
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第7話(ノクシアがいない夜、未来の扉)2

やがて一同は家の結界をくぐり、地下1階の共用スペースへと戻った。

 広間の奥には布団が一組だけ敷かれていた。厚く重ねられた掛け布の上に、カゲナは静かに横たわっている。すぐそばの棚には薬瓶や布が整然と並び、横の小さな机には水晶の器が置かれて淡い光を放っていた。戦いの直後とは思えないほど、整えられた静かな空間だった。


 クレアナの癒しの術がかけられ、焦げ跡や裂傷はじわじわと閉じていった。淡い光がカゲナの体を包み、やがて消えると、傷跡は薄い痕跡だけを残して消えた。

「……妙に静かです」
 クレアナが小さくつぶやく。
 彼女の視線はカゲナの胸に注がれていた。そこから感じられるはずの気配――悪魔の残滓も、魔力のうねりも――何ひとつ残っていなかった。

 リアはそれに気づかぬまま、兄の手を強く握り続けていた。

 時間は、重たくゆっくりと過ぎていった。魔光石の灯りは時折かすかに明滅し、壁に映る影が長く伸びたり縮んだりする。どこからか滴る水音がひとつ、またひとつと響くたび、待つ者の心を余計に沈めた。

 リアの瞳は涙で滲み、こらえきれずに頬を伝いそうになる。兄の手を握る力だけが、今の彼女を支えていた。――もし、この体温まで失われてしまったら。そう考えると、指先に込める力は自然と強くなった。

 ミレイナは椅子に腰かけ、腕を組んでいた。一見冷静を装っているが、その眉間には深い皺が刻まれている。彼女はじっと弟の寝顔を見つめ、ほんの少しでも息が乱れると立ち上がりそうになるほど神経を尖らせていた。

 クレアナは術を維持しながら、時折目を伏せた。計算では危機は脱した――それでも胸の奥にしつこい不安が残る。彼女は無意識に胸の前で指を組み、祈るように呼吸を整えていた。

 どれほどの時が過ぎたのか。
 魔光石がひときわ明るく揺らいだ瞬間、カゲナは、重たく沈んでいたまぶたをゆっくりと持ち上げた。

 視界に映ったのは、木の梁と、その間に吊るされた魔光石の淡い光。光は揺らめくようにぼやけて見え、しばらくどこにいるのかさえ分からなかった。

「……ここは……」
 かすれた声が、無意識に漏れる。

「家よ。もう無茶はやめなさい」
 返ってきたのは、冷ややかに突き放すような声だった。


 横を見ると、椅子に腰かけたミレイナが腕を組み、こちらを見下ろしていた。
 その表情は厳しいものだったが、瞳の奥にかすかな安堵の色が揺れていた。

 カゲナは身を起こそうとした。だが力が入らず、思うように動けない。
 試しに空間操作を発動させようとしたが、応答はなかった。
 胸の奥に呼びかけ、“心牙”を思い描いても――そこはただ、深い沈黙を返すだけだった。

「……なんか、静かだな」
 理由も分からぬまま、そんな言葉が口をついて出た。

「当たり前よ。自分がどれだけ無茶したか、分かってる?」
 ミレイナは吐き捨てるように言いながらも、ほんの少しだけ、声の調子が和らいでいた。
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