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象山ノート
ー1993年タイ米騒動と、日本人が失ったものー
第1話:マズいと言ったのは誰か ──1993年、恥の記憶
1993年、日本は冷夏による大不作に見舞われ、「米騒動」が現実になった。
スーパーからコメが消え、買い占めが横行し、まさに国家の危機だった。
その時、タイが救いの手を差し伸べてくれた。
高温多湿で育った「インディカ米」は、確かに普段食べているジャポニカ米とは違う。
けれど、あれは非常時だった。
──にもかかわらず。
日本のメディアはこぞって「タイ米はマズい」と騒ぎ、
視聴者は「返品したい」と怒り、
料理研究家までもが「パエリアにすればいい」などと、“いかに食えるようにするか”を指南し始めた。
でも──
それを言ってたのは、誰だったのか?
タイの人々は、日本の飢えを救おうと真剣だった。
にもかかわらず、日本人の多くは「助けてもらった」ことすら忘れて、文句だけは一人前だった。
⸻
第2話:誇りって何?輸入米に文句を言った国民たち
「誇り」とは何だろうか?
日本は“助けてもらう側”になったとき、誇りどころか感謝も示せなかった。
「マズい」「臭い」と言いながら、どれほどタイの人々の真心を踏みにじったか。
国民の食卓のワガママが、どれほど“国民性”を露呈したか。
誇りっていうのは、日の丸を振り回すことじゃない。
非常時のふるまいにこそ、真の誇りが試される。
“おいしくなかった”のは米じゃない。
恥を忘れ、感謝を知らぬ我々の心だったのではないか?
⸻
第3話:タイに「ありがとう」を言えなかった国
「困ったときはお互い様」。
その言葉を、日本はどれほど行動で示せていただろうか?
1993年、タイは大量の米を、場合によっては自国民の分を削ってまで日本に送ってくれた。
その後の日本政府は、国民は、どれほどの「ありがとう」を返したのか?
今、2025年の私たちはあの教訓を活かしているか?
いや──
忘れてしまったことのほうが、圧倒的に多いのではないか。
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れっく

すい

るぅか

ぐあぁ
※セイカさんは精華町の大事な広報お姉さんなので上記は絶対に実現しない。

うにひ
ナリック
倉橋島の先っちょの鹿島へ🌊🏍️
海沿いの道気持ちいい〜😆
いつもの呉基地にもがみ型護衛艦7番艦のによどが配備されたので寄ってみたらめっちゃ遠くに停泊しててツーショットできず😩
またちょいちょい来よっと🔥
#倉橋島 #鹿島 #呉 #によど





いなせ

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ランコ



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