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かな(日本語勉強中)
日常会話の中で、「もし嫌いだったら今あなたと仲良くしてないよ」というような言い回しを耳にすることは少なくない。
一見、相手を安心させるための言葉のようにも思えるが、この表現は一度「嫌い」という否定的な可能性を持ち出し、それを否定するという構造を取っている。そのため、聞き手は逆に「嫌われているかもしれない」という不安を意識してしまうこともある。
本来、こうした場面で相手が求めているのは、「私はあなたと仲良くしたいから、一緒にいるんだよ」というような、回り道のない肯定の言葉だろう。そこには余計な前置きがなく、好意がまっすぐに伝わる。
では何故、多くの人が否定を含んだ表現を選んでしまうのだろうか。その背景には、いくつかの心理的・文化的な要因があると私は考える。
ひとつは、防衛的な言い回しとしての側面だ。自分の感情をはっきりと断言することは、ときに勇気を伴う行為である。
「好きだ」と言い切ることに照れや不安を覚える人は、まず「嫌いではない」と伝えることで、自分を守りながら好意を示そうとする。
また、日本語特有の曖昧さを好む文化も大いに影響している。
はっきりと「好き」と言うよりも、遠回しに「嫌いではない」と言う方が、波風を立てないとされる場面が多い。そのため、間接的な表現を無意識に選んでしまう人も多いのだろう。
さらに、相手の不安に素早く応えようとする気遣いから、このような言葉が口をついて出ることもある。
相手が不安そうに「私の事嫌いなの?」と聞いてきたとき、とっさに「嫌いじゃないよ」と否定するのは、一種の優しさだ。
しかし、その優しさが結果として肝心な「好き」という気持ちを曖昧にしてしまうことも、往々にしてあるのだ。
そしてもうひとつ、好意をストレートに表現することに伴う“傷つくかもしれない恐れ”も、この言い方に表れている。
「好きだ」と言って相手に拒絶されたときの痛みを想像すると、人はどうしても自分を守る言い方を選びたくなる。
つまり、「否定を含んだ肯定」という表現は、不器用ながらも他者を思いやろうとする心や、自分を守ろうとする人間らしさの現れなのだろう。
それでもやはり、相手に本当に届く言葉は、まっすぐに「好き」と言い切る肯定なのかもしれない。
そのような些細な言葉の選択で、人との距離、果ては"人生"までも大きく変えるといったことは、私達の気付かぬうちに沢山起きているのだろう。
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ぽよ✌
なお、今回もリスケになりそうです。

アユレ
いろいろ聞いてると
#立憲民主党 の言う
野党共闘は
《立憲民主党に合わせろ!》
そういうイメージなんだよね
だから
野党共闘が上手く行かない
既に
野党候補者が居る選挙区に
立憲民主党が新たに立てる
立憲民主党自身が
野党共闘を利用して
強くしようとしているのだろう

岸くん
#Number_i

🐼パン
こんなバケモンに勝てるのはあの人しかいない!
星南会長!お願いします!
って会長のほう見たら脳破壊されて白目剥いててほしい

こん@
217円
取って取られでした。
11時以降はよくわからず
入れませんでした。なんかライン貫かれそうでビビっちゃいました。
3ラウンドで20回くらいのいんでした。多いのか少ないのか
もっと入る練習するべきなのかよくわかりません

りばん
事実かもしれないけど誰かが悲しむようなことはいちいち言わなくていいとは思うね

辞めた
けど、普通にやると書類でめっちゃ落ちるから根気が必要
書類選考ない第二新卒の転職エージェントとかあるから、そういうの上手く利用するのがいいと思う
参考になるかもしれないし、前書いた24卒23卒22卒向けのおすすめを固定に貼っておく!(凍結避けの為

しのみ
あの混雑は終演後の時間だとアンパンマンミュージアムの脇の道が閉鎖されて通れないので斜めに進んだ先の高島中央公園北の交差点の信号機で詰まる、ってのが原因だと思うのでそこをパス出来るだけでだいぶ違うかと

世情

竹林・R
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