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かなめん
戦争から帰って来た、爺ちゃんの姿に、婆ちゃんは驚いたそうだ。
「ガリガリに痩せて帰って来ると思っていたら、戦争に行く前より、太って帰って来たんだよ!!病院には、なんでもそろっていて、内地より美味しいもの食べてたんだってさあ」
と、婆ちゃんが教えてくれた。
その後、爺ちゃんのいた部隊は、最前線に向かい、部隊が小さくなる度に、他の部隊と合流。部隊長さんは、寄せ集めの部隊を率いて、最前線を渡り歩き、というか敗走をしつづけ、最後に部隊は全滅したそうだ。
爺ちゃんの話しを聞いて、いつも不思議に思うのが、爺ちゃんが生きて帰って来たからこそ、親父が生まれ、僕が生まれたって事だった。
良く命がつながったなあと思うのだ。まあ、爺ちゃんが生きているからこそ、僕がいて、話しが聞けているわけなのだが。
昭和19年のある日、爺ちゃんの手元に、赤紙が来て……
爺ちゃんは、本当に戦争に行ったのだった。
大正5年(1916年)生まれの祖父が亡くなり、すでに数十年が経った。
戦争経験者のほとんどが亡くなった今、祖父との思い出を、ここに記しておこうと思い投稿した。
戦争で亡くなった全ての人の、ご冥福をお祈りする。
おしまい
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家族: なにそれ
私: ホンダの軽のツーシーターのスポーツカー、マニュアル操作が面白いけど生産終了してる
家族: ばかじゃないの
私: アクティも良いと思う
家族: なにそれ
私: ホンダの軽のツーシーターのトラック、マニュアル操作が面白いけど生産終了してる
家族:ばかじゃないの
私: 私の免許、AT限定なんだけどね
家族: ばかじゃないの



けんた♪🌆
しかし、他の常連さん達の話は嫌でも耳に入ってくるもので…。
昨日言ったサウナでたまに話題に出てくる長崎というちょっと天然っぽい若いのがいるのだが、その長崎の話になっていた。
彼は本当は長崎という苗字ではないのだが、長崎出身だから彼が居ない時はみんな長崎と言っていた。
そしてなんで長崎は嘘ばっかり言って強がったりするのだろうという内容で、「あいつ彼女居るって言ってるけど居ないだろ」とか「年収1000万とか」色々な長崎の話が上がっていて、その中の1人が「そう言えばあいつ車でサウナ来てるって言ってたけどあれも嘘で絶対持ってないで」という話にもなり、「いや、それは嘘つかないだろ」と周りは言っていたのだが、「いや、この間大雨で風強い時、あいつこうもり傘がひっくり返ってる状態で必死で自転車こいで銭湯向かってたもん」と言っていて、なんか長崎には悪いがその状況を想像すると思わずクスッと笑ってしまった。
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ミスト
お国の為に戦って散った方々も立派ですし、戦争で生き残ったことも… それがあるから、かなめんさんも自分たちも生まれて今をこうして生きてるんですね!! 貴重なお話しありがとうございます(^^)
うさぎ1号
明日は終戦記念日だったね。 ふだん忘れがちだけど、繰り返したくない。 おじいちゃん世代の人の経験は、私たちの教訓にしていかなくちゃ、あの戦争で亡くなった人が報われないね。
うるる
本当に、語り部がどんどん減ってしまって淡いものになっていってるから‥ 大事なお話ありがとう! こんなにつぶさに覚えてるなんて、何度も真剣に話すおじいさまと真剣に聴くかなめん、なんだね
サンチュ🆕
戦争は悲惨だと、誰もが分かってはいても、止められない。難しくて、こわくて、目を背けたくなっちゃうけど、かなめんの声でならちゃんと聞けたよ😊ありがとう
ℹ︎🍫
読み応えありましたリアル戦争体験。 命の繋がりってすごい。