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〆さば
「考えられる状態に整ったときにだけ、考えられる存在」だ。」「余白が常に人間を人間たらしめてきた」(文化論な切り口)
という立場に対して、それは違うと異議を唱えてほしいです。どんなにボロカスにこき下ろしてもokですが、AIに作らせるのは無しで…。協働は👌です。
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もっと低くしたら流石に振らんだろうし
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正宗(ろー)
食べ物が無い飢餓にあるとき。 自分も空腹で余裕も無い。 でも子供も腹を空かせている。 このときに、どうにかして子供に食べ物を用意できないか親は思考します。 余白と呼べるものはない。 体も、心も、魂すらすり減っている状態。 しかし、それでもなお、人間は人間たらんとする。 極限状態にある愛も存在し、極限状態にあっても人は思考は止めない。 おそらく、自分ごとの場合と、守るべき大切なものとの場合で異なると思います。 人は守るべき大切なものがあるときは、余白なんかなくとも、自己を超越する習性が備わっていると思います。 余白のあるときの思考と、余白がないときの思考はそれぞれ別なのではないでしょうか。
仁
余白を生存するための行動以外の時間とするでいいのですか? その意味で、生存するための行動は、食う(狩 餌場の確保)寝る(安全な巢)交尾(相手の確保)の三つです。つまり、この三つ以外に費やす時間を余白と呼ぶなら、別に人間に限らずどんな動物にも余白はあります。 (油断している時間) その意味で人間も動物も変わりはないので、人間は余白から人間たり得たとは言えないと思いますが、もう少し踏み込んで考えたほうが良かったかな?