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ヴィリアース
NHKの受信料くらい払えよボンクラ。
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やっぱり12月23日が祝日じゃないのは寂しいよ
近代以降、平成の世は対外戦争も国内紛争もなかった「平和成れり」時代だったことを記念してとか理由付けて、平成天皇の誕生日を再祝日化してくれないかな
22日が終業式になれば、子どもたちもきっと喜ぶよ

ひょん
駅員さんに伝えればよかった…
ゴトー(と🐱)
例えば、車も、ガソリンも、プロパンガスも危険です。これらが危険ではないなどと、誰も言っていません。過去には多くの事故があり、犠牲もありました。それでも人類は、それらを手放すのではなく、事故を分析し、制度を整え、設計を改め、運用を洗練させることで、安全性を積み上げてきました。今それらが比較的安全に見えるのは、危険が消えたからではありません。危険を前提にした管理と努力が、長い時間をかけて重ねられてきた結果です。完璧だから使われているのではなく、不完全であることを承知のうえで、使い続けているのです。
特定の科学技術についても、構図は同じだと私は感じています。危険性があること自体は、関わる側ほど理解している。だからこそ、設計や制度、運用の面で安全対策が講じられ、更新され続けている。「危険ではない」と言い張るというより、「危険であることを前提に、どう扱うか」が問われているのだと思います。
それでも、「危険だから」という一言で技術そのものから距離を取ろうとする姿勢に触れると、私はどうしても…落ち着かない気持ちになるのです。それは慎重さというより、危険と向き合い、理解し、制御しようとする思考を、最初から閉じてしまっているのではないかと、そう見えるからです。
「危険だから反対だ」という言葉は、分かりやすく、安心感があるのかもしれません。ただ、私にはその言葉が、自然科学に対する人類の科学技術的敗北宣言、あるいは投降勧告のように聞こえてしまいます。未知や不確実性を前にして、理解し、手を伸ばすことをやめる。その態度は、どこか宗教的ですらあります。
危険を直視し、扱い方を考え、失敗を引き受けながら前に進む。少なくとも私が信じてきた人類の営みは、そういうものだったはずです。だからこそ、「危険だから」という言葉が思考の終点として使われる場面に出会うと、私はどうしてもその考えが受け入れがたく感じてしまうのです。

n氏の話を信じるな
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2929@ブ
#chibalotte

ほうき

ぴい

💡こま

蒸しパ
ここで継投する選択肢があるなら筒香に打たれたところで出しときなよ

温泉旅

眠り猫

ゆきむ
自分のカードの処理の間に特定のことが起こったら罠を発動出来ないって書き方にすべき。
チェーンが無いんだからさ。

クリク
イテテテヘケケとは何?
イテテテヘケケは、主に日本のネットスラングや若者言葉として使われる表現です。この言葉は、痛みを表現する「イテテテ」と、何かを面白おかしく表現する「ヘケケ」を組み合わせたものです。具体的には、以下のような意味合いがあります。
痛みの表現: 「イテテテ」は、何かにぶつかったり、痛い思いをしたときに使われる言葉です。
ユーモアの要素: 「ヘケケ」は、笑いや冗談を交えた表現で、軽い気持ちで使われることが多いです。
この言葉は、特にSNSやチャットでのカジュアルな会話でよく見られます。例えば、友達とのやり取りで「イテテテヘケケ、ぶつけちゃった!」のように使われ、痛みを感じつつも笑い飛ばすようなニュアンスを持っています。

🎀てぬ
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