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ねこ
家事しながら出来るだけ
何も見たくなさすぎて、
何も気にしたくなさすぎて、
リビングのソファーとか棚とか、家具と日用品みーんな撤去(他の部屋にあります)したら気持ちいい😌
片付け苦手な子供もLEGO派手に広げて遊んで満足して綺麗に片付けしてた😳
しかも仕分けまでしちゃってる。
飾らない何も無い部屋が
今の私には一番快適だった!
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リッカ

きの
会話に相談事について考えてみました。
会話はただすれば良いだけでは無い。
会話って、人にとって
とても大事で大切なことは知っています。
だけど、それだけではないと感じました。
会話は、
ただ言葉をやり取りすることじゃない。し
そんな単純な事ではない。と
そこには相手に対して、
「like、好きだな」とか
「もっと知りたいな」とか
そんな気持ちがあって、
「何とかしてあげたい」
「力になれたら」
「手を差し伸べてあげたいなぁー」
という相手を想うキモチがあって、
はじめて、相手の話しをしっかりと“聴く”という行為になる気がします。
人は、
誰にでも自分の本音の話しはしない。
本当の相談をする、話したい人は、
尊敬している人、認めている人だから、
この人なら大丈夫だ。と思えた人にだけに
心の奥の話をしようとするのだと思います。
「話しても大丈夫」そう心が感じたときに、
やっと本当の話しが口から出るのだと思います。
そのとき大切なのは、
解決することでも、
正しい言葉を返す。や、
求めているわけではなく、
お互いの“心”に
寄り添おうとする姿勢と、
そこに感じた言葉に自然と動く
“気持ち”なのだと思います。
言った言われた言葉に単語よりも、
言葉にならなかった部分、
うまく説明できなかった
言葉に想いが、
「分かろうとしてもらえた」と
感じたときに、初めて
私は「認めてもらえた」
と感じるのだと思います。
そして、そのあとで、
自分の心と気持ちにもう一度、
静かに問いかける事で、
私は、
ちゃんと寄り添って貰えたかな?
想い合ってもらえたかな?
など、ココロに聞いた時
心だけ、気持ちだけ、じゃなくて
その両方が自分の中で感じた時、
人はようやく納得できるのだと思います。
その納得が、
ふぅーと、すぅーと心を軽くして、
安心感や癒しにつながっていき、
満足感になって、達成したキモチになり、
全てが満たされた。と感じる。
そこまで行った時にやっと
この人と一緒に居て良かったなぁーとか
会話をして良かったなぁーと思えるのかな

くりいぬ
というのが一つ有るわけですが、なんか声の調子が変わってきたような気がしますな。平常時の話し方に息切れしたような声というか、から元気のような雰囲気が混ざる。気がする。一過性のものかも知れないし、思い込みかも知れないけど。
ところで、そんな平常時の声もボリュームの調節が効かないぐらいの大声で話すから聞こえてきてしまうわけで、これに対して日常を想像してしまうのです。
相手との距離に応じてどのぐらいの大きさで喋るかを身につけ、無意識に調節してるものだと思うんですが、それができないんじゃないかって。話すと黙るの間がない感じなんですよね、ボリュームの概念が無くてオンかオフで喋ってしまう。
もしかして…めちゃ孤独なんじゃないか⋯
風呂に入らないといけないんだ。もやもや考えるのやめて行ってこよ。
あじじじ
とくさん

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ハリ@

こっこ
前回は買ってから一年以内だから無償だったけど、今月頭で一年経っちゃったんだよね。
高性能だから繊細すぎてちょっとの事で壊れるのかな??

よしや

ゆうき

イヌノ

シンゴ

オート

落陽

ぴさ・

ゆた
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