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蘇我霊幻道師准尉
回答数 34>>
尤も一應はヴィンデルバントが彼の「哲學史教本」の冒頭で次の様な定義を下して居るのを借用してもよいであらう。即ち、哲学とは「世界觀及び人生觀に關する一般問題の學的考察」である、と。つまり哲學とは、世界はいかなるものであるかといふ世界觀及び人生はいかなるもであり、人間は何を爲し、如何に生くべきかといふ人生觀を學的に取扱ふものであるといふのである。世界觀や人生觀の問題は、宗教や藝術に於ても觸れられるのであるが、それを學問的に問題とするところに「哲學」がある。
〜以下略)
私は哲學は「全ての知識の最高統一を求めるもの」であると云った。〜文字制限により以下略〜
理解したいといふことはそれが再び統一に歸ったといふことである。心は分裂を通じてどこまでも統一を求めるものであり、その最高の統一が哲学なのである。
と著しました。概ね同意であります。
コメント
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じょー

桐江(キ
絶対的正義、健康優良不良男児、一徹無垢
"佐伯イッテツ"を象るもの全てが詰まってた。
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ほし
なるほど、“学問的”というのがミソですね。 学問的にというのは、具体的にどのような仕方なのでしょうかね。 そこにも一考の余地がありますね。