投稿

ムー
「本当の自分はこの肉体の私ではない」
こう感じて生きていた
表現は違っても同じ感覚を知ってる方はたくさんいらっしゃると思う
私たちは"経験"するために生まれてきた。
経験とは、目の前に起こる現実とそこで味わう感情。
自我と真我(私の表現であり、心理学的な見解とは異なるかも知れません)
罪悪感、劣等感、後悔、承認欲、喜怒哀楽…etcこれは全て幻想
つまり.思考と感情は自分と思い込んでいる肉体の世界観。
相対性の世界
罪悪感を感じてる私って一体誰なんだ!
後悔を感じる私のって誰なの?
誰が何を感じているの?
誰が誰に何を分かって欲しいの?
本当の自分の世界には、絶対性しか存在しない
感覚、体感なので、人によって表現は違うけど、
愛とか安心感とか。
それしかない感じ
だから自分しかしないし、でも自分でも誰でもなくて、自分=世界なんだけど、世界というか空間が在る。ただそれだけ。
分かったからってどうてもないし、
正しいとか証明も根拠もない。
でもこれなんだよなぁという確信。
まぁどうでもええけど(笑)
だから何の?って書いてて思ってる(笑)
ほな書くな(笑)
普段、誰にも言えないこと言わしてくれよ(笑)
私が私だからすごい
あなたがあなただからすごい
みんな一つで一緒だからみんなすごい!
話題の投稿をみつける

デイ

EvitcA_エ
チタタプの意味は何?
チタタプは、主に日本の伝統的な音楽や文化に関連する言葉で、特にアイヌ文化において重要な意味を持っています。以下にその意味や背景をまとめます。
意味: チタタプは、アイヌ語で「小さな音」や「小さな声」を意味します。この言葉は、アイヌの伝統的な歌や楽器の音を表現する際に使われることがあります。
文化的背景: アイヌ民族は日本の北部、特に北海道に住んでいる先住民族で、独自の言語や文化を持っています。チタタプは、彼らの音楽や儀式において重要な役割を果たしており、自然や神々とのつながりを表現する手段としても用いられています。
音楽との関連: チタタプは、アイヌの伝統音楽において、特に楽器の演奏や歌唱の際に重要な要素となります。アイヌの楽器や歌は、自然の音や動物の声を模倣することが多く、チタタプはその一部として位置づけられています。
このように、チタタプはアイヌ文化に深く根ざした言葉であり、彼らの音楽や伝統を理解する上で欠かせない要素です。

無職

マチュ
コロロだよ

ひろし1

えすの

えりふ

ぜろく

かがみ

もち粉
もっとみる 
関連検索ワード
