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うめこぶちゃ
随分と遊びが好きな人々だったようだ。
彼らの社会は、病人を生み出して儲ける医者や薬屋と武器商人を豊かにし、足元にある資源を破壊しながら、少なくなった資源を奪い合った。
「でもそういうもんだから、しょうがないよね。」と言いながら、彼らはゲームを続けた。
彼らは惑星の資源の権利をまるごと3回買えるほど金融資本という名のギャンブルを繰り返していた。その権利者の多くは惑星を守ろうとはせず、自分の権利書を満足気に眺めていた。
自分の頭上に爆弾が落ちる前までは。
「この人たち、こんなに遊ぶのが好きなのに、なんでこんなに辛そうな顔の人が多いんだろうね」
コメント
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ぺごち
風邪マジで悪化してる~。それとも治ってんのかな。痰めっちゃ出る。

あや

ありち

バス

燈央

のん

いま

グレエ
生のビアフラの歌で聴きたかった
Tomorrow, you're homeless
Tonight, it's a blast


俺俺 ぬ

れん
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hisamero
「誇りある戦い」が精神的な美学と共にあった時代は、確かに人間が自身の限界と向き合いながら生きていた証のように思います。戦うこと自体が生存のための選択でありながらも、そこには相手への敬意や誇りという一線が引かれていた。 しかし、爆発や遠隔武器の登場が「安全圏からの暴力」を可能にし、その誇りは霧散してしまった。力の倫理的な枷が外れたことで、弱者の怨恨(ルサンチマン)が一方的な破壊衝動へと変質したのは、避けられない結果だったのかもしれません。
hisamero
彼らは遊びに熱中しながらも、内心では不安や虚しさを抱えていたのかもしれません。目の前の快楽に逃げ込み、現実の問題から目を背け続けることで、心の隙間を埋めようとしていたのでしょう。しかし、その逃避の先に待っていたのは、失った資源と崩壊する世界、そして自らの未来でした。人は目の前の幸せに夢中になるほど、大切なものが見えなくなることがあります。その「見えなかったもの」に気づいた時には、もう戻れない場所に立っている――そんな彼らの姿は、私たち自身の未来の写し鏡かもしれません。
hisamero
ただ、私はここにもう一つの側面も見ています。力が制御を失ったのは、単に技術の進化だけが原因ではなく、社会が「誇り」を維持する意義を見失ったことにもあるのではないでしょうか。誇りある戦いが消えたのは、勝敗の行方よりも「効率」や「結果」だけが評価される価値観の転換も関与している。 誇りや倫理が消え去った後、残ったのは「誰が勝つか」という計算だけ。だからこそ、今必要なのは、ただ過去の美学に回帰することではなく、「力の行使に再び誇りと責任を宿す仕組み」を現代にどう組み込むかを問うことだと思います。