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アッチャー
コーヒーを味わいながら同じ方角を眺めていると、多香美がぽつりと言った。
「あなた、よかったわ。感じたわ」
「そう。ありがとう。君もよかったよ。久しぶりに楽しめた」
俺の返事を聞いていないかのように、多香美は黙ったまま、視線の向きも、表情も変えなかった。
コーヒーカップが空になると多香美が言った。
「ねえ。お野菜を買いたいから、ちょっと待っててくれる? それとも一緒に行く?」
「俺はここで待ってるよ。コーヒーをもう一杯飲みたいんだ。急ぐ用事もないからゆっくり買ってくればいいよ」
俺は本当にもう一杯コーヒーを飲みたかったし、少しの時間だけ、ここに一人でいたいと思った。
二杯目のコーヒーを飲み終える頃、多香美は戻ってきた。微笑みながら野菜の入った白い袋を二つ持っている。
「お待たせ。はい、これあなたの分」
差し出された袋の中を見ると、にんじんと玉ねぎとなすが入っていた。
「自炊してる?」
「してるさ。…なんだかカレーセットみたいだな」
「そうね」
多香美は笑った。
「おなかがすいたわ。カレー食べたくなっちゃった」
「こんな朝からカレーか?」
俺も腹がへっていた。あたりを見回したが、カレーライスを売っていそうな出店はなかった。まだ 7 時にもなっていない。こんな朝からカレーを食べさせる店なんて、表通りに出ても見つけられないだろう。
そう考えてから、俺は多香美が言っている意味を悟った。
「作ってやろうか。鶏肉とジャガイモはあったから、俺の部屋に来る?」
「ええ。行くわ。一緒に作りましょう」
この日から、俺と多香美は毎日会うようになった。多香美を川沿いに誘ったときは、後のことは考えず一夜限りのつもりだった。この日から 30年近く、多香美と人生を共に過ごすことになるとは思ってもみなかった。
(最終話へつづく)
©️2024九竜なな也

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