投稿
ぽん酢
ある程度適当にしている家庭で育った子は、「適当であること」が”当たり前”で生きる。
完璧にするために、保護者が必至になっている姿を見てきた子は「完璧であることに必死になること」が”当たり前”になる。
何事も適当に、保護者が楽に生きる姿を見てきた子は「何事も適当に楽に生きること」が”当たり前”になる。
さて、どっちが生きやすいだろうか。
より、子どものためになるのはどちらの生き方だろうか。
もちろん、一番いいのは、「何事も完璧で、楽に生きること」
ただ、それを実行できるようにすることは簡単ではない。
一からそれをできるようにするには、ある程度必死にならなければいけない。
じゃあそれを叶えるために必死になっている姿を見た子どもは?
その「必死になる姿」が”当たり前”になる。
「子どものため」って考えて、保護者が必死になることを見せることは、本当に「子どものため」になっているのだろうか。
本当の「子どものため」になることとは、「保護者が楽に生きる方法を見せること」なのではないだろうか。
#ぽん酢の考えること
コメント
話題の投稿をみつける

シロ

はな🐹

けんく
ミックスジュースの嫌いな部分抽出液やん

セミ丸
#佐野晶哉
#バナナサンド

まどか

ふぐ

まゆ🦁

火曜🐥

みと・

ごに
もっとみる 
関連検索ワード


ぺちも
自信を持たせる意味での完璧は良い意味で身になりますが 折れることを知らない完璧主義者は 壁にぶち当たった時に対処法を知らないので苦労するだろうなと思いますね。
お母さん
「どちらが」では無いと思って子育てしてます。 必死にならないといけない部分 手を抜いて適当でも良い部分 完璧を目指す所 完璧に出来なかった時対応力。 どちらも「大事」と思ってます。 ただそれを見せて教えるのは難しく…詰まるところ 「親(私)も子となんら変わり無く、日々もがいてみたり、だらけて見たりして、手探りで必死で親してるんだぞっ!」しか出来ません…。
さや
苦労しろと親から言われる環境で育ったので、気楽そうな人見ると複雑な気持ちになります。