共感で繋がるSNS
GRAVITY(グラビティ) SNS

投稿

Hino

Hino

我々が「客観的な現実」と信じているものは、果たして絶対的な正解なのだろうか。

​認識論的に考えれば、我々が世界と呼んでいる対象は、外部の物理現象を感覚器官が受容し、脳が再構成した「二次的な情報」に過ぎない。このプロセスにおいて、脳は生存に最適化された解釈を優先するため、我々が見ているのはありのままの真実ではなく、脳が作り出した極めて精巧な幻であると言えるだろう。

​その不確実性を象徴するのが、クオリアの分断だ。
例えば、空を指して「青い」と語り合うとき、我々は言語という記号によって合意を形成している。しかし、私の意識に現れる「青」の質感と、他者の意識に現れる「青」の質感が、数学的に同一であると証明する術はどこにもない。私にとっての「青」が、他者にとっての「赤」のような質感であったとしても、社会的な記号体系の中に矛盾は生じないからだ。
​もしそうであるならば、我々が「同じ世界を共有している」という感覚そのものが、脳による最大の欺瞞である可能性が出てくる。とすれば、我々の現実は脳というレンズが作り出した私的な解釈の集積であり、そのレンズを外して「正しい世界」を誰かと分かち合う術は、どこにも存在しないだろう。

​「正しい世界」とは、観測者から独立して存在するのか。それとも、観測者の数だけ存在する幻の総称に過ぎないか。

​それでもあなたは、隣の誰かと『同じ景色』を見ていると、信じ切れるだろうか。
GRAVITY
GRAVITY1
関連する投稿をみつける
話題の投稿をみつける
関連検索ワード

我々が「客観的な現実」と信じているものは、果たして絶対的な正解なのだろうか。