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塩分

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大阪都構想には、理屈としてのメリットとデメリットがあることは理解している。行政の効率化や権限配分の再設計といった議論が、制度論として行われること自体は自然だし、必要な検討だとも思う。

 しかし、人間は合理性だけで生きている存在ではない。もし栄養摂取のためだけの行為であるなら、食事に味や香り、楽しさを求めるグルメはすべて無駄だということになる。自然環境から身を守るための道具に過ぎないなら、衣服や靴に美しさや個性を求めるおしゃれも不要なはずだ。だが、誰も本気でそんなふうには考えない。

 人は、生き延びるためだけではなく、どう生きるか、どんな自分でありたいかを大切にして生きている。合理性では測れない価値に心を動かされ、それを守ろうとする感情こそが、人間らしさそのものだからだ。

 大阪市への郷土愛も、私にとってはその一つである。それは単なる懐古や感傷ではない。大阪市で生きてきた経験や記憶、誇りの積み重ねによって形づくられた、「自分が何者であるか」を定義するアイデンティティそのものだ。それを切り捨ててまで進められる合理化には、どうしても賛成できない。

 そもそも大阪市は、単なる一地方自治体ではない。人口規模で見れば、約280万人。これはアルバニアやリトアニアといった東欧の独立国に匹敵する。経済規模においても、大阪市は東欧の中堅国家クラスの実力を持つ、極めて高密度な都市である。一つの「市」でありながら、国家級の人口と経済力を内包している点で、大阪市は国内でも稀有な存在だ。

 その大阪市を大阪府へ統合するという発想は、形式上は行政区分の再編に見えるかもしれない。だが実質的には、大阪市が長年、市民の営みの中で積み上げてきた実力と資源を、府という別の枠組みに移し替える行為に等しい。効率化という言葉の下で、都市としての自立性や蓄積された価値が希釈され、横取りされていくように感じられてしまう。

 大阪市の実力は、どこかから与えられたものではない。市民が働き、住み、支え合い、時に失敗しながらも積み重ねてきた結果として、そこにある。それを前提条件のように扱い、統合の材料として消費することには、強い違和感を覚える。

 制度は変えることができる。行政の仕組みも、時代に応じて見直されるべきだろう。しかし、人が積み重ねてきた記憶や誇り、帰属意識まで、他者に雑に整理されていい理由はない。

 自分が何者であるかを決める部分だけは、
自分以外の誰かに、効率や合理性だけで軽々しく扱われたくない。

 その感情を否定せずに引き受けることこそが、人間らしく政治と向き合うということなのだと思う。
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 大阪都構想には、理屈としてのメリットとデメリットがあることは理解している。行政の効率化や権限配分の再設計といった議論が、制度論として行われること自体は自然だし、必要な検討だとも思う。