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まかろん🍮
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苺葉(いちは)
#ハンドメイド #レジン #バレンタイン #チョコレート #リップ

愛を込めて🍫
参加

みみ


ゆあ
中指の、クリムゾンレッド、
苺みたいやなぁって思って
苺っぽくしてみた!



TOMO-27
家に着いたら安心したのか、咳と痰まで出て一気に苦しくなった。
とりあえず市販薬飲んで横になってるけど、しんどい。
熱はないので内科には寄らなかったのだけど、失敗したな。
明日は特別講義があるから出たいのだけど、難しいかも
#hsp
#人間不信
#フラッシュバック
#INFJ -t
#風邪

臼井優
教育費は「入力」にすぎない。それが、どのような回路を通って社会に出力されてきたのか――そこが問われている。
教育が機能するはずだった回路
本来、教育は
教育 → 労働 → 価値創出 → 分配
という回路のなかで機能する。
しかし日本では、この回路が長い時間をかけて細ってきた。知識や技能が賃金に結びつかず、年齢や属性によって評価が固定され、再挑戦は「自己責任」として切り捨てられる。
この状態で教育費だけを増やすことは、壊れた配管に水圧だけをかける行為に近い。一時的に流れたように見えても、どこかで漏れ、滞り、やがて失望を生む。
現場で見えている別の問題
私は教育の現場に身を置いているが、そこで日常的に感じるのは、単なる「お金不足」ではない。
むしろ目につくのは、使い切れない予算と、任されない裁量だ。
時間は細かく管理され、評価は数値に回収され、失敗は避けるべきリスクとして扱われる。その結果、学びに不可欠な「立ち止まる時間」や「試してみる余白」が、静かに失われていく。
これは、個々の教師や学校の問題ではない。制度そのものが、失敗を引き受けない設計になっている。
教育費問題の正体
ここまで来ると、教育費の問題は、単なる「量」の話ではなくなる。それは、量と信頼が絡み合った問題だ。
誰を信じるのか。どこまで委ねるのか。失敗の責任を、社会はどこまで引き受けるのか。
この問いに答えないまま、数字だけを積み上げても、教育は社会的資本にはならない。
本当に問うべきだったこと
私たちが本当に問うべきだったのは、日本は教育にいくら使ったのか、ではない。教育を、社会のなかでどう扱ってきたのか、という問いだった。
若者を信じてきただろうか。学び直しを許してきただろうか。失敗を、排除ではなく回復につなげてきただろうか。
こうした問いを棚上げしたまま、「中国は22倍、日本は10%減」という数字だけが独り歩きする。それは分かりやすい。だが、分かりやすさと正しさは同義ではない。
増やす前に、つなぎ直せるか
教育費は必要だ。
しかし、それ以上に必要なのは、教育が再び社会につながる回路を取り戻すことだ。
「もっと金を出せ」という叫びだけでは足りない。学びが報われ、失敗が回収され、再挑戦が可能になる社会構造を、私たちは設計し直せるのか。
日本の教育をめぐる本当の課題は、そこにある。

カネダ
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メロクロアニバーサリーパーティの内容は?
メロクロアニバーサリーパーティの内容は以下の通りです。
日程と場所: パーティは特定の日にちに開催され、通常は人気のあるイベントスペースやカフェで行われます。
テーマ: 毎年異なるテーマが設定され、参加者はそのテーマに合わせた衣装を着ることが奨励されます。
アクティビティ:
ライブパフォーマンス: 人気のアーティストやDJによる音楽パフォーマンスが行われ、参加者は楽しむことができます。
ゲームやコンテスト: 参加者が楽しめるようなゲームやコンテストが用意され、賞品が用意されることもあります。
フードとドリンク: パーティでは、特別なメニューが用意され、テーマに合わせた料理やドリンクが提供されます。
特別ゲスト: 毎年、特別なゲストが招かれ、トークショーやサイン会が行われることがあります。
フォトブース: 記念撮影ができるフォトブースが設置され、参加者は思い出を残すことができます。
このように、メロクロアニバーサリーパーティは多彩な内容で構成されており、参加者にとって楽しい体験となることが期待されます。

うしだ

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