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塩分
しかし法学上、個人の自由が憲法で保障されるかどうかは、行為者の気概や覚悟とは一切無関係です。
まず大前提として、日本国憲法が保護する「表現の自由」「思想・良心の自由」は、
社会的に好ましい主張や、多数派に支持される主張だけを守る制度ではありません。
むしろ、不快・愚劣・無意味・少数派と見なされがちな表現こそ、国家権力から距離を置いて守られるべき対象とされてきました。
次に、「刑罰があるならやらなくなる程度の主張は自由として弱い」という論理ですが、
これは法的には危険な逆転です。
なぜなら、刑罰の存在によって人々が萎縮し、行為を控えること自体が、
表現の自由に対する『萎縮効果(chilling effect)』として問題視されるからです。
法の役割は、「覚悟のある者だけが耐えられる自由」を選別することではありません。
そうしてしまえば、結果として
体力
資金
社会的地位
炎上耐性
を持つ者だけが自由を行使できる社会になります。
これは法の下の平等に真っ向から反します。
また、「本気なら処罰されてもやれ」という発想は、
刑罰を思想や表現の選別装置として使うことを正当化しかねません。
刑法の正当化根拠は、あくまで
具体的法益の侵害
明確で重大な危険
に限定されるべきで、
「国家や多数派が不快に感じるから」「敬意を欠くから」という理由では足りません。
仮に「その程度の主張なら保護に値しない」と言い始めると、
次に誰が「程度」を決めるのか、という問題が必ず生じます。
そしてその決定権を国家に渡した瞬間、
自由は権利ではなく、許可制になります。
結論として、
刑罰に耐える覚悟の有無は、自由の価値を測る基準にはならない。
法が見るべきなのは、
行為がどの法益を
どの程度
具体的に侵害しているか
それだけです。
「気概がない自由は守らなくていい」という考えは、一見厳しく筋が通っているようで、
法の世界では、自由を最も脆くする発想だと言えます。
コメント
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ゴミ箱

ぽやぽや
生きているうちに宇宙に行ける日が来るのかな


こう
ポンコツでごめんよ。

たらたらぼう
回答数 19>>

リリー ®️🫧ྀི
もう関係ないはずなのに、指だけが勝手にページをめくる。
顔も中身も、たぶんあの頃のまま。変わったのは、私たちのほう。思い出だけ、歳をとらない。
行かなくなったゴールデン街のあの店。
「地元一緒じゃん!」…その一言で距離が消えて、気づけば12時間、運命みたいに飲んでた夜。
…あれは恋だったと思ってた。
この前ひさしぶりに店に寄ったら、
マスターが笑って言った。
「あなたたちさ、あの日ずっと”運命だ”って言ってたけど、ずっとお互いの名前間違えてたよ」
…どうりでたまに噛み合わないことも多かった私たち。運命じゃなくただの酔っ払いの奇跡。
思えば、こんな寒い日だったな乾杯🥃


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聖火(セ
今日の写真送れないじゃん

えーず
1→#f1gp
6→モナコGP
10→ウィリアムズ
11→ラッセル
15→クソレース
「クソレース」がトレンド入りとか末期すぎる笑

にゃん

タイリ

百瀬
と思って出したんだけど皆でっっけ

ちゃる
サクチャンサクチャンの由来は?
サクチャンサクチャンの由来は、主に日本の若者文化やネットスラングに関連しています。この言葉は、特にSNSや動画プラットフォームで使われることが多く、特定の行動や感情を表現するために生まれました。
語源: 「サクチャン」は「サクサク」と「チャン」を組み合わせた言葉で、軽快さや楽しさを表現しています。特に、何かをする際のスムーズさや楽しさを強調するために使われます。
使用例: 友達と遊ぶときや、楽しいことをしているときに「サクチャンサクチャン」と言うことで、その楽しさを共有することができます。
文化的背景: この言葉は、特に若者の間で流行しており、カジュアルな会話やオンラインコミュニケーションでよく見られます。流行語としての側面もあり、時代とともに変化することがあります。
このように、サクチャンサクチャンは、楽しさや軽快さを表現するための言葉として、若者文化の中で根付いています。
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ちび太郎 🐾
ではその「表現の自由」によって何らかの被害、損害が起きた場合の責任の所在は表現者にあるとお考えですか? 何かをするならリスクは付きもの。その表現の自由は「全てが免罪、表現者にいたってはストレスフリー」であるべきだと?リスクは嫌だが好き勝手させろと?ルールが基盤のこの社会で「自由」とは何をしてもいいというわけではない。その辺の道徳的感覚の共有、少なくとも日本国内でそれは許さない、許されない行為であると内外に示すのにこれ以上の方法があるのならお聞かせ願いたい。
ノゾ
表現の自由はなぜ守られるべきでしょう。なぜ人は自由に表現できるべきなのでしょう。そうできないことによって、人は何を奪われるのでしょう。 それを侮辱することで得る表現者や社会の利益があるなら保護されるべきですが、そんなものあるのでしょうか。 幾らでも国家を批判し風刺し問題の指摘をすればいいんです。 非理性的狂騒や、感情の発散ではなく、理性的かつ効果的な表現によって。 それを侮辱することで生じる不必要な争いや騒擾から社会を保護する目的で法がそれを禁じることに、特に不自然やリスクを感じません。 また「萎縮効果」とは「本来あるべき正当な自由」の萎縮を言いますが、国旗焼くのはそれに該当しますか?