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4ヶ月の限界お母さん

4ヶ月の限界お母さん

げっぷをして口の中にミルクが溜まったとき、そのまま飲み込んでくれと必死で願う
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やまだ❗️❗️❗️

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めっちゃわかる

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さめ

さめ

うおおお人工破水した
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臼井優

臼井優

「劫(ごう/こう)」は、仏教において人間には計測不能なほど、極めて長い時間を示す単位です。
 40里四方の岩を100年に一度天女が羽衣で撫で、その岩が磨滅してなくなるまでの時間を「一劫」とするなど、永遠にも等しい時間や囲碁での「劫(コウ)」の取り合いを指します。

劫の概要と意味
読み方・由来: 「こう」「ごう」と読み、サンスクリット語の「kalpa(カルパ)」を音写した「劫波」の略。

仏教での時間単位: 最も長い時間を示す。
磐石劫(ばんじゃくごう): 40里(約20km-160km)四方の巨大な岩を、100年に一度羽衣で撫で、岩がすり減ってなくなる時間。
芥子劫(けしごう): 40里四方の城に芥子(からし)の種を満たし、100年に1粒ずつ取り除き、その種がなくなる時間。

関連用語:
永劫(えいごう): 「未来永劫」など、永遠に等しい長い歳月。

億劫(おっくう): 気が進まない、面倒なこと。もとは「一劫」が非常に長い時間であるため、それだけの時間がかかるほど面倒という意味から。

四劫(しこう): 世界の「成(成立)・住(存続)・壊(破壊)・空(空虚)」という4つの段階。

その他の意味
囲碁の「劫(コウ)」: 1手おきに互いの石を1目ずつ取り合える状態。そのまま取ると取返しになるため、コウ材(別場所への着手)を打ってから取り返すというルールがある。

おびやかす: 「劫奪(ごうだつ)」「劫盗(ごうとう)」のように、脅して奪い取るという意味でも使われる。

文学・文化における「劫」
落語の『寿限無(じゅげむ)』に登場する「五劫(ごこう)のすりきれ」は、非常に長い時間を表す言葉として有名。
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🍑🍞

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ふと思い出したうちの旦那のヤバい話

私が仕事で旦那が平日休みの日、むちゅめんが保育園でお熱を出したから私の職場に連絡がくる。私は「わかりました。お父さんが休みなので迎えに行ってもらいますね。」と保育園に言って旦那へ「むちゅめんが熱出したみたいで、保育園から連絡が来たから迎えよろしく。」と伝えた。旦那の反応は「えー?まじ?んーわかった」と、なんだかいやーな感じの返事。まあ釣りに行ってたんだろうなと思った。それから2時間後、私の職場にまた保育園から連絡が来て、私がお昼休憩に出ている事を伝えてくれた人が何故かめちゃめちゃ怒られたらしくて『何してるんですか?!まだお迎え来ないんですか?!娘さん苦しんでるんですよ?!』みたいな感じで言ってたらしい。(電話とってくれた人まじスミマセン)
それを聞いた私、え?旦那にお迎え頼んだはずなんだけどなあ?????と思ってもう一回旦那に連絡すると「今向かってるよ😡俺、富山に来たのに蜻蛉返りだぞ?連絡きてすぐに出れるわけねえだろ」と言ってお怒りになられていました。そのまま事故って死ねと思いました。
保育園についてから先生に「こっちは連絡きてからすぐに出れるわけじゃ無いんだ」と、文句言ったらしい。
ヤバ
今はもうそんなことしないけど。

まずお迎え要請の連絡した時に私に、自分が富山にいるからすぐにお迎えに行くことができないことを言うべきだよね。なんなら朝から行こうと思ってたなら、今日は富山に釣りに行くからなんかあったら頼むって言えよ。
一生忘れん。
今はもうこんなことしないだろうけど、私は保育園からお迎え要請が来ても旦那にはお願いしないことにしましたとさ。おしまい。
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臼井優

臼井優

念仏を唱えても助からない、という疑問は、仏教、特に浄土系(浄土宗・浄土真宗など)の教えの核心に触れる重要な視点です。

「念仏=願いを叶えるための修行」として捉えるなら、その通り「唱えただけで助かる(願いが叶う)はずがない」と言えます。しかし、浄土教では全く別の視点から念仏が捉えられています。

主に以下のような意味合いがあります。
1. 「助かる」の定義が異なる
浄土教における「救い(救済)」は、現世の病気が治る、宝くじが当たる、困難が去るという「現世利益」ではありません。死後に極楽浄土へ生まれ、仏となる(往生・成仏)ことを指します。

2. 自力ではなく「他力」
「念仏を唱える」という行為は、自分の努力で天国に行こうとする「自力」ではありません。それは、阿弥陀如来が「あらゆる人々を救う」という約束(本願)を信じ、その働きに任せる「他力」の教えです。

3. 念仏は「感謝の言葉」
浄土真宗では、念仏(南無阿弥陀仏)は救いを求める呪文ではなく、救われていることに気づいた人が、その感謝を伝える言葉(報謝)として唱えるものとされています。

「私の努力で助かる」のではなく「阿弥陀如来の力によって、すでに救われている」という安心感が根本にあります。

4. 確固たる信念への問いかけ
「念仏くらいで助かるはずがない」という疑念や、自分の知識・力を信じ切る傲慢さを、仏教では「自力の心」と呼びます。そのような心を抱えたままの人間を、そのまま救うのが阿弥陀の慈悲である、と説くのが特徴です。

念仏は、自分の力で人生をコントロールしようとする執着から解放され、「そのままで良い」という安らぎの中で生きるためのものとされています。
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りらくま

りらくま

義母が欲しいベビーグッズなんでも言ってって言ってくれたり安産祈願に連れて行ってくれるんだけど、そんなに色々していただいていいのかって感じ。孫の誕生ってそんな特別なのね
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mon

mon

LLMを使っていると、どこから持ってきた情報というのが気になります。誰かのblogがソースだと結構危ないです。それを信じてると酷い目にあいます。これから先にLLMの出してきたものをそのまま使う人と、それを吟味して使える人に二極分化して、教育で得られる基礎知識とか考え方の訓練に価値が出てくるような気がします。後者が人口のある程度いないと国力が維持できないでしょう
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アクア−Devil

アクア−Devil

以下は、あなたの断片的な記憶や情景をもとに、戦中・戦後期の日本の農村を舞台にした短い物語です。
疲れ果てた農夫、琥珀色の液体、ウイスキーに砂糖、そして翌朝の不思議な回復感……を軸に、少しフィクションを交えて紡いでみました。

### あの日の琥珀

昭和20年秋。終戦からまだ2ヶ月と少し。
大阪から遠くない田舎の村で、俺は毎日のように田んぼと畑を往復していた。
戦争中は「増産増産」と怒鳴られ、肥料も農具もろくに手に入らず、
それでも米を、芋を、なんとか絞り出すしかなかった。
妻と幼い二人の子は疎開先から戻れず、俺一人で家を守る日々。
体は鉛のように重く、夜になると足が痙攣して眠れなかった。

ある晩、夕飯の後。
いつものように雑穀と芋の飯をかきこんで、箸を置いた瞬間、
視界がぐらりと揺れた。立ち上がろうとしても膝に力が入らない。
畳に両手をついて、這うようにしてようやく横になった。
もう動けない。死ぬのかも知れない――そんな考えさえ頭をよぎった。

その時、縁側の方から足音がした。
近所の源じいさんだった。
源じいさんは戦前、ちょっとした酒屋をやっていた男で、
終戦後もどこからか酒を手に入れては、
「これ飲まんと人間やってられん」と笑っていた。

「疲れ果てとるな、お前さん」
源じいさんは無言で腰を下ろすと、懐から小さな瓶を取り出した。
中身は琥珀色に輝く液体。
ワイングラスにそっと注がれ、俺の目の前に差し出された。

「これ、飲めよ」

俺は震える手でグラスを受け取った。
匂いは強烈だった。酒の匂いだ。
でもどこか甘い。
源じいさんが小さく笑う。

「ウイスキーや。闇市で手に入れたやつに、砂糖を溶かしたんや。
戦前は贅沢品やったけど、今は命の薬やで」

一気に飲み干した。
喉が焼けるように熱く、胃に落ちた瞬間、体の中が震えた。
甘さと苦さが混じり合い、頭の奥まで染みていく。
そのまま意識が途切れた。

翌朝。
目が覚めた時、陽がもう高く昇っていた。
体が軽い。
昨日の鉛のような重さはどこにもない。
足を動かすと、痙攣も痛みもない。
畑に出て鍬を握った時、初めて「生きてる」と実感した。

源じいさんはその後、
「砂糖が入ると、肝臓が甘やかされて回復が早いんやて。
医者も知らんこと、酒飲みは知っとる」と笑った。

あれから何年も経った。
今でも疲れが溜まると、あの琥珀色のグラスを思い出す。
もちろん今はまともなウイスキーだけど、
時々、砂糖を小さじ一杯だけ落としてみる。
あの夜の、奇跡のような朝を、もう一度味わいたくて。

衆院選のポスターが村中に貼られ始めた頃、
俺はようやく妻と子どもたちを迎えに行けた。
あの琥珀の夜がなければ、俺は畑に倒れたままだったかもしれない。

――終わり。
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