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さんしょう
驚くほど常識に照らし合わせて
常識に沿わない自分をずっと責めた文章を書いていた。
毎日のように良かれと思って書いて、ずっと責める事が当たり前だったし、その方が私には簡単で楽な事だったと今ならわかる。
あの人のことが好きになれないのが本音なのに、人を嫌いになるのはいけない事だからと、そんな自分はよくないんだ
すぐに切り替えられない自分はダメ
ネガティブな気持ちになったはいけない
いい人でなければ誰も私を愛してはくれない
言うことを聞かないと認めてもらえない
普通はこうするはずなのに、私はそうできてないのがダメ
普通はこんなことはしないのに、あの人は平気でするのは違うんじゃないかおかしい
そんな言葉が溢れていた
普通って誰が決めたの❓
常識ってそんなに大切なこと❓
いい人って一体何❓
不安やネガティブな気持ちは消さなくてはいけない❓
はい、そうです。その時はその常識から見た軸が1番大切と思って判断してたので。
数年経った今、
自らを、そして周りの人を常識というフィルターにかけてジャッジして縛り付けていたことに、ようやく気づきました。
ずっと何十年も気付けばしていたことで、いまだにその癖が抜けない事もしばしばあるけれど、もうそこから抜け出すって思ったら人目も気にしなくていいのかもと思ってホッとした。
自分もだけど相手もジャッジする必要がないとようやく思えた。
人からどう見られるかを最優先にしていたので、怖さはまだゼロじゃないけど。
もう手放していい時がきたのだと思った。
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