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ひかげ
小学校最後の年、全国コンクールで特選になったとのことで、県庁に呼ばれてガラスの盾と賞状を頂いた。
中学校での最初の冬、地区で行われる「とんど焼き」の行事に、父が僕の絵の賞状をたくさん持ってきた。皆の目の前で、賞状を乱雑に火の中に焚べていく。僕は、呆然とその光景を見ていた。何も言葉は出なかった。冬の冷気と、夜の暗さと、炎の熱と、なんだか現実感が希薄で、自分の存在が曖昧だった。
「神様にお願いするんだよ。絵の才能が勉強の方に宿ってくれますように、って」
父はそれがさも素晴らしい考えであるかのように呟いて、炎の前で静かに手を合わせた。僕は上等な紙の一枚一枚が消し炭になっていくのを黙ってに見守った。やけに頬が熱かった。
あれから、美術の授業以外では絵を描かなくなった。ノートの落書きもなくなった。賞状なんてものはただの紙で、決してそれが欲しくて絵を描いていたわけではない。それなのに、どういうわけだか、やっぱり何かが変わってしまったようだった。
中学を終えると、父の認めるいい高校に入って、それから町を出ていい大学へと進学した。
今の僕の部屋には、絵の具もスケッチブックも置いてない。いつか貰ったガラスの盾は、いつの間にか見えないところに仕舞われたようだった。
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天才を潰す日本を擬人化したようなお父様ですね。
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今言うことではないですが、小説書いてほしいです。ひかげさんの文章惹かれます。
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私は書道で取った色々な物を 親が「必要ないよね」と 焚き火で燃えたのを見て 『私の存在はアナタにとってなんだろう…』と思いました 一つ一つ手に入れるまでに 結構時間かかったし努力もしたんだけどなぁ… ひかげさんの文で そんな風に思った遠い記憶を 思い出しました 30年前くらいの話しだけど🙄 でね😀 今から😀また始めようかと思います
美傘
普段のお父さんのこと 全く知りませんが その行いは酷いです
isoibeau
私は高校の時、漫画家になりたいという希望をぶっ潰され、描いた漫画作品全部と漫画本をぜんぶ庭で焚書されました。 漫画を描くことを反対されたということより、漫画を描くと親を悲しませるということがつらくて、親が悲しまない方向を探して芸術大学に行き、デザイナーになりました。 でも、デザイナーの仕事をしていても、漫画は諦めずに描いています。 実は父が亡くなり、母が施設に入り、今は重石が取れたように漫画を描いています。 もちろん若いうちに夢に取り掛かれればラッキーだったとは思いますが、年を取ってからだって、いつでも再開できますよ。 描きたいと思う時が来たら、その時がタイミングだと思います。