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ててて
バナナもいただいて、整腸剤をひとつ。
そして、ぬいぐるみでも何でもいいから、胸に抱いて。
今日はもう、早くお休みなさい。
思考というものは、身体と歩調を合わせて動くものです。
身体が弱っていれば、心は自然と影のほうへ引き寄せられる。
けれど、それは逆もまた然り。
これは心ではなく、身体から始める回復の作法なのです。(心を整えるより腸を整える方が具体的で取り組みやすいでしょう?)
深刻に考えられること、
それは誠実さであり、想像力を持っている証。
そして、
最悪の場面まで思い浮かべてしまったのなら、
それはもう、覚悟が整ったということ。
あとは、流れに身を任せていいのです。
人生なんて、
案外いい加減で、
それでも不思議と、ちゃんと辻褄が合うようにできている。
だから力を抜いて。
今日は休んで。
明日のあなたに、あとは任せてしまいなさい。
今日まで、ちゃんと生きてこられたのだから。
きっと、明日も大丈夫です。
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ひよこ🐣
髪の毛AIなのに自然(ฅ'ω'ฅ)


ナムル

なななな
また来なかったりするかもやな〜
あおい(ニワトリ)🐔
高校3年生だと思われてたのか〜🩷💫
全然高校受験です💋💋💋

おるか
現在30歳男性、彼女と同棲中の元保育士、現在一般企業勤めです。
障がい児施設で働かれている方に質問です。
障がい児を療育することに社会的な意義はあると思いますか?以前は放課後デイサービスで約3年程勤務していたのですが、その中で「療育していてもこの子達の障がいが良くなるわけではない」「暴言吐かれるのがしんどい」「この子達が卒所した後は生活介護か」「下手をしたら将来的に親子で...なんてことになることも考えられる」「保護者の方も将来のことがとても心配だよね」「この子達が成長して卒業した後の姿を見せてくれたとしても、成長を感じるとか、そういった健常の子どものような姿を見せてくれる事はないんだろうな」と感じてしまい、結果、障がい児を療育することに、意味があるのかが分からなくなってしまいました。
現在の仕事で色々とあったこともあり、保育士のアルバイト(悩んだ末に彼女からの提案で)として転職活動中です。(職歴も多いし男性保育士のアルバイト求人自体がかなり少ないのでかなり難航していますが)ですが、上記の事で、療育に戻ることに悩んでもいます。(子どもからの暴言などで悩む事はありましたが療育自体は楽しかったです)
昨今、snsなどでも障がい者に対しての風当たりの強い言葉を見かけたり、安楽死に対しての考え方を目にしたりする度に上記のような事を思ってしまいます。
どうか、ご意見を頂きたいです。よろしくお願いします。
ゴトー(と🐱)
1. 撮影現場に響いた怒号:事件の概要
2020年12月、ロンドンで撮影中だった映画『ミッション:インポッシブル』の現場から、主演トム・クルーズの激昂する音声が流出した。
きっかけは、スタッフ2名がソーシャルディスタンスのルールを無視して隣り合って立っていたことだった。トムは「次やったらクビだ!」「俺たちは何千もの雇用を守っているんだ!」と、放送禁止用語を交えながら約2分間にわたって怒鳴り散らした。
当初、この音声は「スターによるパワハラ」として批判的に報じられた。しかし、次第に世論は一変する。当時のハリウッドはパンデミックで壊滅的な打撃を受けており、トムが自腹で巨額の対策費を投じて現場を守ろうとしていた背景が判明したからだ。「彼の怒りは正当なものだ」という支持の声が、世界中を席巻することとなった。
2. 「パワハラではない」と言い切れるか
しかし、ここで冷静に立ち止まる必要がある。彼が抱いていた熱意や正義を脇に置いたとき、この言動は「パワハラ」ではないと言えるだろうか。
グローバルな基準、例えば国際労働機関(ILO)が定める「仕事の世界における暴力及びハラスメント(第190号条約)」や、より厳格な企業のコンプライアンス基準に照らせば、その評価は極めて厳しいものになる。
・優越的な地位の利用: トムは主演俳優であり、事実上の最高責任者(プロデューサー)である。スタッフとの間には、絶対的な権力格差が存在していた。
・身体的・精神的な苦痛の付与: 大勢の前で怒鳴りつけ、解雇を盾に脅す行為は、業務上の指導として「相当な範囲」を超えている。
・環境の悪化: 恐怖による支配は、短期的には規律を生むが、心理的安全性を損なうため、ハラスメントの要件を十分に満たしている。
結論として、彼の行動は現代の基準において「パワハラ要件を明確に満たしている」。
3. なぜ、このパワハラは「受容」されたのか
では、なぜこれほど明らかなハラスメントが、世界中で賞賛に近い形で受け入れられたのか。そこには、トムの行動に「あったもの」と「なかったもの」が決定的な役割を果たしている。
まず、彼の怒りには「圧倒的な利他性」があった。
彼は自分のメンツや利益ではなく、映画業界の存続と、名もなき数千人のスタッフの「雇用」を守るために怒っていた。この「誰かの人生を背負っている」という覚悟が、言葉の毒性を中和させた。
そして、彼の怒りには「自己愛」や「責任逃れ」が全くなかった。
もし、彼が自らルールを破っていたり、失敗の責任を誰かに転嫁しようとしたりする素振りが少しでもあれば、この怒りはただの見苦しいパワハラとして断罪されていただろう。自らも最前線でリスクを取り、誰よりも努力しているという「背中」があったからこそ、周囲は彼の暴走を「悲痛な叫び」として受け取ったのである。
4. 私たちが安易に真似をしてはならない理由
このエピソードを「正しい目的のためなら怒鳴ってもいい」と解釈するのは、極めて危険な誤解である。私たちがこの事件の「キャットコピー(形だけの模倣)」を厳に慎むべき理由は、私たちがトム・クルーズではないからだ。
第一に、私たちは往々にして、自分の感情(イライラ)を「正論」というオブラートに包んで吐き出してしまう。トムのような100%の利他性を維持できる人間は稀だ。
第二に、恐怖によるコントロールは、現場の透明性を奪う。一般の組織で同じことをすれば、部下はミスを隠し、報告を怠るようになり、結果として組織はより大きな破滅へと向かう。
トム・クルーズの件は、極限状態における「特権的な例外」に過ぎない。私たちが彼の振る舞いから学ぶべきは、怒声の上げ方ではなく、彼が背負っていた「覚悟」の方である。
自分の正しさを証明するために声を荒らげる時、そこにはもう正義はない。人は「正しければ何をしてもいい」というわけではない。その免罪符が人に与えられた瞬間、正義は暴力へと変貌するのだ。
トム・クルーズの取った行動は、あの瞬間においては称賛に値する。だが、私たちは安易にその真似をするべきではない。

いしのみ
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