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吉田賢太郎
君はいつの間にか、
「誰よりも賢くいたい」とか
「誰かに負けたくない」という
心のフィルターで世界を眺めてはいないかな。
それは「観察眼」や「審美眼」という名の、
自分を縛る窮屈なメガネかもしれない。
一度、そのメガネを外して、地面に置いてごらん。
そこからが、本当の始まり。
1. 勝ち負けの向こう側へ
「あいつより上だ」「自分はダメだ」
そんな風に誰かと比べるマウンティングは、もういらない。
賢い人も、そうでない人も、
強い人も、弱い人も、
本当はどこにもいないんだ。
ただ、そこに「命」が、それぞれにあるだけ。
2. 世界は、最高に自由な「UNO」
人生は、お正月にみんなで囲むUNOに似ている。
ルールはその場の空気(TPO)で変わっていいし、
突然「ドロー4」が飛んできて、予定がめちゃくちゃになってもいい。
大事なのは、必死に勝とうとすることじゃなく、
回ってきたカードを、その時の流れに合わせて
「えいっ」と置いていく、その瞬間の手触り。
3. 「バラバラ」こそが、美しい
君が誰を好きになっても、
どんな風に世界を感じても、
それは君だけの特別な「識(しき)」、君だけの景色。
人の数だけ、正解があっていい。
みんな違っていい、なんて言葉じゃ足りないくらい、
世界はもともと、ぐちゃぐちゃで、多様で、
だからこそ、そのままの姿で完璧なんだ。
観察するのをやめて、
ジャッジするのをやめて、
ただ、今この瞬間の「場」に、自分をなじませてみて。
何者でもなくなったとき、
君は、世界のすべてとつながっている。
その静かで、とっても自由な場所を、
「無我」と呼んだりするんだよ。
今年の冬は、
ただ、目の前のカードを、楽しんでごらん。
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狼
回答数 101>>
しかし、明らかに十分な広さがあるにも関わらず一律禁止とするのは公園の存在意義としてどうか?
住人が憩いの場として、さんぽなどに利用する場所として存在するのか、それとも主に子どもの身体的成長を助けるためにあるのか。
法律的には両方であるので、優先順位を争う形に成っている。子育て世代(※世代とは言ってない)は少数派、ほぼ必ず負けると言う状況で「優先順位を話し合う必要がある」なんて結論には出来ません。短絡的な自己利益ではなく、広い視野で判断するのは、総体化した人類にはまだ難しいと考えるからです。
また今回は言及しませんが、子供を騒音源とする騒音問題の話とも絡んでくるでしょう。ボール1つであちこちに転がっていくものですね。
個人的には子供の成長を見守る事は国民の義務と位置づけて良いモノだと考えています。言葉にするのが少し遅すぎたように思いますが、悪しからず。
――了――
追伸︰最後まで読んでくださった皆さまへ
今回は子供のボール遊びの話をしましたが、大人またはそれに類する能力の人間が悪意を持って“ボール遊び”をした場合の事も考える必要があります。
無敵の人より。

さとう みお

Hi
リータ
大人になってからムードメーカーの役割だったと知った私だった

にこ
ダメな自分でもok←それな
そのままの自分でok←その通り
ただ私は特別でダメでも無いしさらに向上するべき人間だと思ってる
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