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吉田賢太郎
「脳」は、あなたの「五体(からだ)」と同じです。
それは、生きていくための「スキル(技術)」。
計算したり、計画を立てたり、危険を避けたりする道具です。
道具だからこそ、いつも「もっとうまくやらなきゃ」「失敗したらどうしよう」と、
あなたにネガティブな予報を伝えてきます。
「心」は、あなたの「五感(かんじかた)」と同じです。
それは、あなただけの「センス(感性)」。
きれいな夕焼けに震えたり、誰かの優しさに気づいたりする力です。
心は、理屈抜きに「これ、好きだな」「これ、いいな」と、
世界からポジティブな光を受け取ります。
スキルで勝負せず、センスで愛する
「あの人より勉強ができる(賢者)」「あの人より立場が上だ(強者)」
そんなふうに**「スキル(脳)」を振りかざして、誰かを踏みつけるのはやめましょう。
それは、せっかくの鋭い「センス(心)」**を曇らせてしまうからです。
あなたがパンセクシャル(全愛主義)のように、
相手の属性ではなく「その人自身」に惹かれる感性を持っているなら、
それはあなたのセンスが、脳の計算を超えて世界をポジティブに捉えている証拠です。
脳が「不安」を叫ぶときは、
心の「センス」に耳を澄ませてみて。
スキル(脳)は、あなたを「便利」にするけれど、
センス(心)は、あなたを「幸せ」にします。
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イカサマ【OD】

吉田賢太郎
教科書に載っている**「科学」**は、みんなの「外側」にあるもの。
重力や数式は、誰が測っても同じ答えが出る。
だから、みんなで検証して、点数をつけて、評論してもいい。
でも、「芸術」という物語は、だれかの「内側」にあるもの。
それは、その人の心の中にしかない、たったひとつの「精神世界」。
物語の正体は、あらすじ(ストーリー)じゃない。
その人の生き方そのものである**「哲学」であり、「思想」**なんだ。
世の中のほとんどの人は、
「おもしろかった」「つまらなかった」と、
うわっつらのストーリーだけをなぞって、中身を飲まずに捨ててしまう。
わかったふりをして、上から目線で作品をさばく。
でも、それは「賢者」の振る舞いなんかじゃない。
ただ、他人のたましいを否定しているだけなんだ。
芸術を評論するというのは、
その人の「生きる理由」に土足で踏み込んで、
「お前の心は間違っている」と突きつけるのと同じこと。
それは、やってはいけない、とても恥ずかしい暴力だ。
いいかい。
物語に出会うときは、審判員(ジャッジ)になっちゃいけない。
たった一人の人間が、命を削って差し出してきた
「精神世界」という贈り物を、ただ黙って、そのまま受け取るんだ。
メッセージは、評価するものではない。
あなたの魂で、受け止めるもの。
うわっつらの言葉を捨てて、
相手の思想と、一対一で向き合うこと。
それだけが、表現という「個人」に対する、たったひとつの礼儀なんだ。

ミント
母…料理作り
義妹…料理作り、お重詰め
私…かまぼこ、辛子蓮根、ハム、伊達巻切っただけwww
お重に詰めるのも下手なので、怒られるのよねー🤣
センスないからさーwww

ごんさん⋆͛🦖⋆͛
今年も無事終えられて何より😌
そして明日から仕事初め
対戦よろしくお願いします[ほっとする]

まる子
起きて、
無理〜!ねむい
とか
それでもそばにいてくれる人がよい
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ゆめ

戌ヒト

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もんざ
おやすみ、アグロヴァル。俺の腹の安全を祈っててくれ。

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成田蓮って文字だけで騒げる

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