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anemone
アゴタ・クリストフ(Agota Kristof、1935年10月30日 - 2011年7月27日)は、ハンガリー生まれの作家。1956年のハンガリー動乱でスイスに亡命し、フランス語圏で時計工場で働きながらフランス語を学び、母語ではないフランス語で執筆しました。簡潔で冷徹な文体、戦争・亡命・アイデンティティの喪失をテーマにした作品が特徴で、処女作『悪童日記』で一躍有名になりました。40以上の言語に翻訳され、ヨーロッパ文学賞などを受賞しています。
#忘備録
#心に沁みる一冊
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す


あましび

mi
ISFP魅惑系忠犬ハチ公で調べてください🤲

たあぼう
2週目に入ってる作品もある中
今週スタートももちろんあります。
『悪役令嬢は隣国の王太子に溺愛される』
『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』
なかなか一周するのが大変なクールです。
皆さんのオススメはありましたか?
#アニメ推進委員会
#今週スタート
#今日スタートもあるんです
#オススメ教えてください


愛のファンファーレ (feat. Yu Shirota)

じゃんく
回答数 3>>
''押し付けるもの''とする傾向が強いように感じます
これは日本語の構造的問題だと思うんです。
これはこうだ、と断定する能力や現象に意味を持たせる能力が高いがゆえに起こる問題だと考えています。
だから、
・私はこうしていた
・相手はこうしていた
・しかしこれはこんな環境でやっていたことだった
・この環境をつくったのは○○だ
・しかしこの環境が必要になったのは○○にある
これらの情報を同時に保持するということが言語の特性上難しく
「つまり、誰が悪いの?」
という問いを生んでしまっているように感じます。
しかし、私としては責任というのは「直接的、間接的に触れたもの全てに発生するもの」だと考えています。
そして一番大きな責任、問題を抱えているのは、
問題を、間接的につくっているものを間接的につくっているものをさらに間接的につくっているものにあるかもしれません。
だからこそ
責任が誰にあるかを決めることよりも先に
どんな原因によって起きていることなのかを考えることが問題の根本的解決に繋がるのだと思います。
誰が責任かを第一優先で決めることは本質から目を背けて、簡単な結論に逃げているだけのように感じます。
つまり、問題の表面的解決、いわゆる「やってる感」しか生んでいないと思うんです。
これが私の責任に対する考え方です。
まあ、そう考えることが日本で需要があるかどうかは別としますが…🙄

花鶏
ツイッター(新X)やばいしな。
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