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たまかしわ〜
インド国内にいるムスリムやクリスチャンを強制的に改宗させるヒンドゥーナショナリズムの活動である。ムスリムやクリスチャンらは洗脳された哀れなインド人であるため救済しなければならないという思想があり、村に集団で押し入りヒンドゥー教徒に改宗させる。VHPが特に力を入れている。
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臼井優
主な兵法書と時代背景
『孫子』(春秋時代・孫武):
世界最古の兵法書の一つで、戦略の基本原則、心理戦、情報戦などを体系化。
「戦わずして勝つ」ことを理想とし、戦争を避ける術も説く合理的な書。
『呉子』(戦国時代・呉起):
『孫子』と並ぶ代表作で、兵士の育成や軍隊の組織化に重点を置く。
『尉繚子』(戦国時代・尉繚):
富国強兵、民衆の動員、謀略など、国家戦略全般に言及。
『六韜』(太公望・周代の教えとされる):
文武両道の思想が根底にあり、軍事だけでなく政治にも通じる内容。
『三略』(黄石公・秦末漢初):
『六韜』『孫子』と並ぶ兵法の基本書で、戦略的思考を養う。
『司馬法』(司馬穣蹠・戦国時代):
軍事法の重要性、文武の調和を説く。
『李衛公問対』(李靖・唐代):
唐の名将・李靖の戦術を問答形式でまとめたもので、実戦的。
中国兵法の発展
春秋戦国時代: 諸侯が覇権を争い、孫武や呉起、尉繚などの兵法家が活躍し、理論が形成される。
唐代: 武経七書が編纂され、兵法の古典として確立。
宋代以降: 武経七書は科挙(武官登用試験)の科目にもなり、兵法が国家戦略の一部として重視される。
『兵法三十六計』: 明代にまとめられたとされる戦術集で、奇策・計略の集大成。
これらの兵法書は、単なる戦術書にとどまらず、中国の思想、政治、経営など多岐にわたる分野に影響を与え続けています。

瑞樹
私の安寧は得られない。生きてても、
死んでてもどうでもいいと言ってくれる
人でなければ、そうでなければ人は、
優しい人は、「心配」という名の干渉を
してしまう。だから嫌だ。
誰にも触れられたくないものがある。
誰にも踏み躙られたくない部分がある。
本当に愚かなのは、他者に理解を求めて
いながら、私は他者を理解する気がない
ということだ。私はそれでも、この気持ちを
他者に伝えるつもりがない。否伝えたと
したら、それは断捨離的な諦めか、本当に
どうでもいいか、はたまた解決要素のひとり
となったかのどれかでしかない。
自分の気持ちを話すのは、好きではない。
話すことそれ自体が、今後も関わっていくの
ならばその人への価値観の押し付けになる。
曝け出すことは基本的に悪であると思うから。
私は議論をしない。できない。
私は許容しない。する方法を実行しても、
理解するだけで結局混ざり合うことはない。
小さく小さく絶望していく事が、こんなにも
怖い。だから止まっていながら、遅く進み
ながらもまだ歩いている。人生を謳歌、とは
一体どんな景色なのだろうと思い、眺める。
世界にとってどうでもいいことである事が
始まりの絶望であり、今となっては唯一の
安寧で、世界が自分1人では変わらないから
こそ、きっと何も変わらない、そう思うから
こそ動ける。
思想は伝えるものじゃない。
突き進むものである。そしてその形を
なるだけ人に突き刺さない形状にして
静かに確かに持つ事が私にとっての自立
である。誰に理解されなくとも、たとえ
理解されたとしても、私のやることも
生き方も変わらない。
過干渉という子供側のエゴを押し付ける
ことは、それ自体が人道的でない。
いくら個人の自由が許されているとしても
親を「心配」させる事は悪である。
ならば最初から愛なんて要らなかった。
この責任は、最初から負わされていた。
親を愛さなければ、大切にできなければ
私はそれだけで重苦しい罪を背負った。
誰のことも大切に思えなければ、それだけで
生きてはいけないという常識に潰れた。
この孤独と渇きを埋めたいと人と関わること
それ自体が無責任であるとされた。何も、
彼らに悪意を与えた事がなかったとしても、
何かを与えたとしてもだ。
大切、それが価値のある事だと理解している。
理解して尚、だから大切だ、とはならない。
価値があるからなんだというのか。価値ある
ものが欲しいのか。自分が欲しくない高価な
アクセサリーをどう眺めればいいというのか
「何を言っても通じない」
見方によって、そうだ。きっと、その言葉に
違うと言えるだけの力は私にはない。
どう生きても、苦しんでも私の人生だという
思いを正常な人間は許容しない。
愛されたくない、とまで思ったのはきっと、
愛を受け取る器を勝手に作れと言われて、
必死に繕ったものを「それは違う」と
材料や要素を判断されずに、否判断して尚
別のものと取り替えなければならないと
されたことだ。
価値観を守りたいのに、誰かの価値観と
違うだけでこんなにも否定されるものか。
私は、一体何のために生きていたかった
のだろう。それでも自分の人生を選択
しなかった自分のせいだと、その一言で
片付けられてしまうこれが、ひどく苦しい。
あなたの価値観だって私は大切にしたかった
からこそ悩んだその迷いも、葛藤も重要では
ない。ただなんの苦しみもなく生きて欲しい
それが心配をする人にとっての本音である。
私には、ただ苦しむことは許容されていない。
心配をする人々の許容できる範囲で苦しむ
ことを望まれている。
これはきっと私も相手も、
「願いが実現されない」
ことを苦しんでいる。だからどちらが
偉いということはない。ただ、価値観の相違
を擦り付けることはできないだけで。
誰も愛したくなんてない。私は、もう嫌。

こたつ

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るた。

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そろそろローテらしいピッチングはせなあかんと思うけどね…

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