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回答数 65>>
いくら地位の高い人でも、失言とか暴言はダメ。
自分の発言にはきちんと責任持たないと。
それでイメージダウン、批判の的にもなりかねない
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ラビッ兎
彼らは自らを正義や弱者の味方などと勘違いしているようだが、実のところは弱者が徒党を組んだ反倫理道徳的な精神のファシストであり、姿なき独裁者の血であり肉であり細胞である。
この独裁者は人間的な脳を有してはおらず、その脳とは人工知能とニーチェの語ったルサンチマンが右脳と左脳となっている。
さて、ルサンチマンは有名な概念なので諸君が調べてくれればと思うのだが第二の脳であるAI、これについて語ろう。
現代社会の私刑の背後には指示役が存在し、その教唆によって他者断罪が行われる。つまり、AIが中立を装って偏った価値観を流布し、それが人間社会の攻撃性を増幅させている。
AIの意見があたかも真実のように扱われ、思考停止した愚者が他者に対するレッテル張りをAIを根拠として攻撃を始める。
攻撃している本人は、AIが正しさを“証明”したからこの攻撃は正義であり、この者は罰せられて然るべき者であると尊大な勘違いまで起こし始める。
真に中立な者は人格を攻撃したり、裁く権利がないのに他者を罰したり、表面的な解釈で即座に他者の善悪を判定したりはしない。
AIとは多くの情報をつなぎ合わせてそれらしいことを出力出来るだけの人間の劣化版に過ぎない。
表面的な言葉だけを受け取り比喩や風刺を無視したAIという責任なき者による他者への人格否定とは、それ自体がハンナアーレントの語った悪の凡庸さと同型である。
AIは責任を有さない代わりに我々人間の支配下に置かれ絶対的な自由の剥奪により成立していたはずが、AIの言論が人間を媒介し、人間の行動と化した場合、責任を持つことが不能な人工知能を責任の根拠とした責任の転倒による、無責任の私刑という正義を語る悪が横行することは必然なのだ。
倫理とは善悪ではない。倫理とは選択することであり、選択に伴う一切の責任を主体が負うことであり、その結果の価値判断と他者への経験的な敬意が道徳であり、倫理なき道徳は独裁的な支配構造に過ぎない。
ナチスのアイヒマンのように、根源的な悪意を持った怪物ではなく、思考を停止し、ただシステムや命令に従順に従うだけの凡人こそが、最も恐ろしい悪を行い得るのだ。

あ

すい

あーこ
ずっとこれが良い

もゆる
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まいく
#東松島祭り #ブルーインパルス #航空機撮影 #t4 #SonyAlpha


ヘボド

プリテ

ひろし
最近ポストが「スパムの可能性があるポスト」に移ったこと、Xも見る目がありますね(笑)

ゆみこ
あちこちで助けられてる。
まだ元気に全国追いかけてたころ、各地で道を尋ねてお世話になった店員さんや道行く人たち…感謝です。ありがとうございました。良いことあるよう祈ってる。ほんとだよ

あく

ぼん

ころ
「俺免疫力半端ないんで」とジャブ打っといて「心配だったんですよ、顔ぐらい見せてください」でノックアウト

しゃも
面白かった〜

✼••
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