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あお🫧
でも、それにはどこか違和感がある。
私の自己評価は、他人と比較した結果ではない。
自分の能力や課題達成までの粘り強さは高い――これは、他人と比べたからそう感じているのではない。むしろ、比べる必要すら感じない。自分自身が持つ判断基準において、ある基準に達しているからそう言っているだけだ。
私にとっての“評価”とは、自分の内的基準に照らし合わせたときの整合性であり、他者の存在を前提にはしていない。
他者に対しては、むしろその基準を意図的に甘くしている。私の基準を他人に求めたら、過酷すぎると知っているからだ。
この構造の中で生まれる「自分への厳しさ」が、外から見れば卑屈に見えることがあるのかもしれない。
私は他者の目に怯えているわけではない。ただ、自分が達したい基準に届いていないのではないかと、自分自身の目で内に向かって問い続けるそのジャッジが苦しいのだ。
心理学的な文脈では、卑屈さや自己肯定感の低さは「他者との関係性のなかで育つ」と語られる。
けれど私にとっては、その「他者の介在」こそが違和感の源だ。
もし、自分の軸を最初から内側に置いてきた者がいたとしたら?
あるいは、外に差し出した感覚が通じなかった経験を重ねた末に、内に戻らざるを得なかった者がいたとしたら?
そういう人間にとって、卑屈とは「自己否定」ではなく「未達感の言語化」に過ぎない。
たとえば、「この程度なら本来の自分なら数日で終わるはずだったのに、集中を保てなかった」と思うとき。
あるいは「周囲は褒めてくれても、自分が目指していた地点には届いていない」と感じるとき。
そこにあるのは敗北感ではなく、理想との対話だ。
それは他者を見上げて起こるのではなく、自分の理想を、まだ見据え続けているからこそ、起こる感覚なのだと思う。
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瓶野こ

うる🐉

環
イエッタイガッとは何?
イエッタイガッは、主に日本の若者の間で使われるスラングで、特にSNSや音楽の文脈でよく見られます。この言葉は、特定の感情や状況を表現するために使われ、特に「やった!」や「最高!」というようなポジティブな感情を強調する際に用いられます。
起源: イエッタイガッは、音楽やストリートカルチャーから派生した言葉で、特にラップやヒップホップの影響を受けています。
使用例: 友達と楽しい時間を過ごした後や、何か成功したときに「イエッタイガッ!」と言うことで、その喜びを共有します。
文化的背景: この言葉は、若者文化やトレンドに敏感な人々の間で特に人気があり、SNSでのコミュニケーションにおいても頻繁に使われます。
このように、イエッタイガッは単なる言葉以上のもので、若者たちの感情や文化を反映した表現です。

ぶ〜

めいめ
#TJBB_FC #THEJETBOYBANGERZ #ネオエグアリーナライブ

すいり

みちの
そんなこと言ってたら天皇、皇族、皇室って存在自体成り立たなくない?
特別待遇なのが当たり前だと思います。それだけ立場としての重みがあるのですから…

おじょ
イエッタイガッの意味は?
イエッタイガッは、主に日本の若者の間で使われるスラングで、特にSNSや音楽の文脈でよく見られます。この言葉は、何かを強調したり、感情を表現するための掛け声のようなもので、特に「イエーイ!」や「やった!」といった意味合いを持っています。
起源: イエッタイガッは、特に音楽やダンスのシーンで使われることが多く、楽しさや盛り上がりを表現するための言葉として広まりました。
使用例: 友達と遊んでいるときや、イベントで盛り上がっているときに「イエッタイガッ!」と言うことで、みんなの気分を高めることができます。
この言葉は、特に若者文化の中でのコミュニケーションの一部として、楽しさや一体感を生むために使われています。

まゆき

ロッキ
母の行動みてると
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リクリ
あぁ良い思考ですね。 人の考える様、過程を垣間見るのはいつも楽しい。 僕でいうところの、主観的"私"をさらに掘り下げていった感じでしょうか。そして、極端に言えば客観0:100主観にも近い感性を感じます。 こうも厳しく、自らを見つめられるのは、あおさんの、あおさんらしさな気がします。 場合によっては、自身への否定すらも自身を肯定するための手段に過ぎないのかもしれませんね。 まだ少しあおさんを深く見れた気がします🤔
らかん
100%理解しました👍
まぼ
言語化レベルが素晴らしい!カッケェっす先輩!笑