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アクア−Devil
東京の片隅、雑居ビルの最上階に「修理屋G-17」という看板がひっそりと揺れている。
表札にはただ「修理承ります」とだけ書かれている。
電話番号もホームページもない。
なのに、なぜか一部の人間の間では「最後の手段」として囁かれている。
依頼内容はいつも同じ文言で始まる。
「直せますか? ……人じゃなくて、人生の方を」
店主はいつも黒い作業着を着た、30代後半に見える男。
名前は誰も知らない。
みんなただ「G」と呼ぶ。
ある雨の夜、依頼人が来た。
20歳そこそこの女の子。
両手首に包帯がぐるぐる巻きで、目は完全に死んでいた。
「私、もう何もかも壊れてるんです。
直せるもんなら……直してほしい」
Gは黙って彼女の両手をじっと見つめた。
そしてゆっくり言った。
「直すってのは、元に戻すことじゃないよ。
新しい形にするってことだ」
女の子「新しい形って……何ですか?」
G「わからない。
俺もまだ一度も完成させたことないから」
その日から、彼女は毎晩G-17に通うようになった。
最初はただ黙って座っているだけだった。
Gは黙々と古いラジオや壊れたゲーム機を直し続け、
時々ポツリと呟く。
「人間の心ってさ、意外とねじ回し一本で外れるんだよ。
でも戻すときが一番難しい」
二ヶ月目のある日、彼女が初めて口を開いた。
「……私、昔は絵が描きたかったんです。
でも上手くいかなくて、誰かに笑われて、
それからずっと筆を持つのが怖くなった」
Gは作業の手を止めて、棚の奥から古い木箱を出してきた。
中には錆びたパレットと、固まってしまった絵の具のチューブが詰まっていた。
「これ、10年以上前に預かったままの忘れ物だ。
持ち主はもう来ないだろうけど……
とりあえず使ってみな」
彼女は震える手でチューブを握った。
蓋を開けた瞬間、腐った匂いがした。
でもなぜか、涙がこぼれた。
それから彼女は、毎晩壊れた絵の具を削りながら、
少しずつキャンバスに色を乗せ始めた。
下手くそで、汚くて、歪んでいて、
でも確かに「何か」がそこに生まれていた。
半年後。
彼女はもう包帯をしていなかった。
代わりに両腕には絵の具の跡が虹色に残っていた。
最後の夜、彼女は一枚の絵をGに差し出した。
そこには、黒い作業着の男が描かれていた。
顔はあえて描かれていなくて、
ただ背中だけ。
その背中から、無数の細い光の糸が伸びて、
いろんな壊れたものに繋がっている絵だった。
「これ……私の中で一番大切なものになりました」
Gはしばらく絵を見つめてから、珍しく小さく笑った。
「へぇ……
俺、こんな風に見えてたんだ」
彼女「Gさんって、いつも言いますよね。
『完成させたことない』って」
G「……ああ」
彼女「でも私には、もう完成してるように見えるんです。
だって……今この瞬間、私、生きてるって思えてるから」
Gは目を細めて、雨の音を聞いていた。
そして、ようやく一言だけ。
「……お疲れ。
もう卒業だな」
彼女はその夜を最後にG-17には来なくなった。
ただ、時々、深夜に店の前に小さな封筒が置かれていることがある。
中にはいつも一枚の絵と、短いメッセージ。
「今日も生きてます。ありがとう」
Gはそれを黙って壁に貼り足していく。
今では壁一面が、誰かの「新しくなった形」で埋まり始めている。
誰も完成を見ていない。
でも誰もが、確かに少しずつ直り始めている。
だからこの店は、今もひっそりと営業を続けている。
看板には相変わらず、たった一言。
**修理承ります**

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