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臼井優
一般的に使われる「初心忘るべからず(しょしんわするべからず)」という言葉の解釈と逆ですが、世阿弥の言葉の本来の意味は「初心を忘れてはいけない」であり、
特に「時々の初心」つまり、年齢や環境が変わるたびに新たな気持ちで謙虚に学ぶ姿勢を忘れるな、という深い教えです。
つまり、「最初の頃の未熟な自分を忘れるな」だけでなく、「今の自分もまた未熟であると自覚し、常に学び続けること」が真意とされます。
「初心忘るべからず」の本来の意味
この言葉は「花鏡」に由来し、一般には「始めた頃の謙虚な気持ちを忘れてはいけない」という意味で使われますが、世阿弥は3つの「初心」を説いています。
是非初心(ぜひしょしん): 若い頃の未熟な自分や、その時の新鮮な気持ち、失敗した経験を忘れるな。それらを糧に成長する。
時々の初心(ときどきのしょしん): 年齢や経験を重ねても、その時々の新しい状況や未熟な自分を自覚し、常に謙虚に学ぶ姿勢を持ち続けろ。
老後の初心(ろうごのしょしん): 年を取っても「もう完璧だ」と思わず、生涯現役として新たな気持ちで挑戦し続けろ。
現代的な解釈と「初心は忘れてもいい」の捉え方
「忘れる」ことのポジティブな側面: 過去の未熟さに囚われすぎず、今の自分の成長を肯定する意味では「忘れる」ことも必要かもしれません。
しかし、それは「成長した自分」を認識した上で、新たな「初心」を持つための切り替えです。
「忘れてもいい」が指すもの: もし「初心は忘れてもいい」と言うなら、それは「最初の熱意だけで凝り固まらず、状況に合わせて柔軟に、新しい『初心』を常に持ち続けよう」という意味合いで捉えるのが、世阿弥の教えに近いでしょう。
まとめると、「初心忘るべからず」は「初心を忘れるな」という戒めですが、その真意は「常に新しい『初心』を持ち、学び続けること」であり、この意味で解釈するなら「初心を忘れてもいい(=新しい初心を見つけに行こう)」という考え方も、根底では通じ合うと言えます。
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よん
回答数 11>>
例えば
「頑張った」=「頑張ったことを褒められた」=頑張る時点で良い結果に繋がる=前向き、ポジティブ
「頑張った」=「結果によっては叱責」=頑張った結果叱責される可能性=恐怖=防衛本能=ネガティブ
別の例として
好きな人に告白するのだとしたら、振られたり拒絶された経験があるとネガティブになりやすいと思います。
負の経験値(数の多さ、衝撃の大きさ)の量によってポジティブかネガティブか異なると思います。
「人間万事塞翁が馬」のように、最終的に巡り巡って結果オーライのような経験の積み重ねがあった場合は、負の経験値の量に関わらずポジティブにもなり得ると思います。

末っ子
なんか海外で年越し花火とか上がる動画見ると私を祝ってくれてるみたいで嬉しい気持ちになる
^_ ̫_^良かったらお祝いメッセージ欲しいな[大泣き]
#誕生日

月の子
#05 #今日の1枚


まさまさ改め「まさ」
写真をやってて良かった
いろいろフラッシュバックすることもある諸刃の剣的な側面もあるけど
自分を見つめ返す良い材料だった。
レンズ、カメラ本体
センサーもミラーもスクリーンも綺麗にして
新年を迎えましょう。
#写真好きな人と繋がりたい


グラコロ
はむ \(:3」∠)_
時間が経つのって怖いね!

ます
気持ち悪い(笑)

限界受験生

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すわみ

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あ、今日ダメだwww
#平野莉玖 #りくらじ

タキ
カミノイタズラとは何ですか?
カミノイタズラは、主に日本の伝説や民話に登場する神様や妖怪の一種で、特にいたずら好きな性格が特徴です。以下にその概要をまとめます。
起源と背景
カミノイタズラは、神道や民間信仰に基づく存在で、神々が人間の生活に干渉する様子を表現しています。
いたずらを通じて、人々に教訓を与えたり、注意を促したりする役割を持つことが多いです。
特徴
いたずら好きで、時には人々を困らせることもありますが、基本的には悪意はなく、楽しむための行動です。
具体的な形や姿は定まっていないことが多く、地域によって異なる解釈があります。
文化的影響
カミノイタズラは、地域の祭りや行事においても取り上げられることがあり、民話や伝説の中で語り継がれています。
その存在は、自然や人間の関係を考える上での象徴的な役割を果たしています。
このように、カミノイタズラは日本の文化や信仰に深く根ざした存在であり、単なるいたずらではなく、より深い意味を持つキャラクターです。

あれな

ドゥ

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