投稿

みう
回答数 75>>
生まれもった顔だから、らしさを大切に
できたら良いと思う( ꈍᴗꈍ)
関連する投稿をみつける

たいち
「それでも、あの日」
父が「家にいたい」と言ったとき、
私は、うなずくことができなかった。
苦しそうに息をする父を見るのがつらかった。
夜中、痛みで目を覚ましている父を見るのも、
その横で何もできずに座っている母を見るのも、
全部が、胸に刺さるようだった。
「入院した方が、楽なんじゃない?」
誰に向けた言葉だったのか、今でも分からない。
父か、母か、それとも自分か。
訪問看護師さんに電話をした夜、
私は泣きながら同じことを何度も言った。
答えが欲しかったわけじゃない。
「大丈夫」と言ってほしかっただけなのだと思う。
年末、先生が来ると聞いた日。
家には、自然と人が集まっていた。
子どもたちの声がして、
普段は静かな家が、少しだけにぎやかだった。
父のベッドのそばで、
孫やひ孫が手を握っているのを見て、
私は、少し後ろに下がった。
近づくのが、怖かった。
ここにいることが、
父の「家で最期を」という願いを
壊してしまう気がしたから。
先生が来て、
父が「良かった」と笑ったとき、
私は初めて気づいた。
父は、苦しいだけじゃなかった。
ここにいることを、
ちゃんと「選んで」いたのだと。
「痛みは何とかします」
先生のその言葉を聞いて、
胸の奥で固まっていた何かが、
少しだけ溶けた。
父は、眠った。
母は、何度も「ありがとう」と言った。
その夜、
私は父の部屋の隅で、
ただ座っていた。
何をすればいいか分からなかったけれど、
離れることだけは、できなかった。
日が暮れて、
父の呼吸が、静かに、浅くなっていった。
誰かが手を握り、
誰かが名前を呼び、
私は、ただ見ていた。
最期の瞬間、
父の顔は、思っていたより穏やかだった。
そのとき、
「入院させた方がよかったのではないか」
という考えが、
すっと消えたわけではない。
でも、
「ここにいてよかった」
という気持ちが、
それよりも少しだけ強かった。
父を見送ったあと、
母が言った。
「お父さん、家でいられて幸せだったと思う」
私は、うなずいた。
やっと、ちゃんと。
後悔がゼロになることは、きっとない。
でも、あの日の選択が
間違いだったとも、もう思わない。
あの日、私は
「正しい娘」ではなかったかもしれない。
それでも、
父のそばにいた娘では、いられた。
それでいいのだと、
今は、思っている。

松下
かずた

名前変えなきゃ

ハグキ

すし山

レゲエニート

やい
もっとみる 
話題の投稿をみつける

ヤサグ

の

⏺️笹

えい@EST

鈴蘭
ジャーナリングサボとは何?
ジャーナリングサボは、主に自己反省や感情の整理を目的とした日記やメモの形式です。以下にその特徴を示します。
目的: 自己理解を深め、感情や思考を整理するために使用されます。
形式: 手書きのノートやデジタルアプリを利用して、自由に思考を記録します。
内容: 日々の出来事、感情、目標、夢などを自由に書き留めることができます。
効果: ストレスの軽減や創造性の向上、自己成長を促進する効果があります。
ジャーナリングサボは、個人の成長やメンタルヘルスの向上に寄与するツールとして、多くの人に利用されています。

蔵ゐ音(

ミモザ

星海銀

そらま

日向 い
寝るか(*_ _)zzZ
もっとみる 
関連検索ワード
