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黙読しようとすれば集中力が続かないし、PCを使って打ち込みながらインプットすれば体力がもたず、やはり中途で断念せざるを得ないからだ。
翻って、音読はいい。心の準備ができていない状態のまま、読む予定の無かった言葉が、まさに自分の音声を通じ、暴力的に入り込んでくる。
三島の遺灰が、全身全霊を賭して読むよう促してくる。何を欲する勇気も無い、そんな私に心地良い苦痛を与えてくれる。
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外出るだけで心擦り減って苦しくなるこの病気…つらい…自由に外を歩きたい…

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回答数 76>>
『誰が言ったかより何を言ったかが大事』と言うのは、「権威より内容を重んじる」の話で、天動説優位な中でも地動説が正しいと分かればそれに従うべきだろう、と言うような考え方を伝える言葉。
一方で『何を言ったかより、誰が言ったかが大事』と言うのは、例えば「私は絶対に失敗を許さない」と言っていた人間が、自分がミスを犯した途端「人間は失敗するものだ」と口にしたパターンを想定しているものではないか?
もしそうだとすれば、確かにその人の過去の発言や行動によって言葉の価値や重みは変わるし、発言だけを切り取って考えるのは実際適切ではない場合、私は結構あると思っている。
ただ、話を都合よく解釈すれば、「こいつの言うことは信用できない」みたいな流言で簡単に悪評を立て、都合よく使う事が出来るものである。
結論として、どちらも正しいケースはあるが、全体を正確に見なければどっちのケースかは判断出来ないし、判断するという時点で恣意性は多分に含まれるので、どちらも余り頼りにするべきではない言葉。と言う印象。
ウソではないけど決めつけに成りやすい言葉群だと受け止めています。

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一般的な読書の仕方を忘れてしまった。