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たるお

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私たちの思考は、基本的には個々のイメージの連鎖に過ぎない。しかし、個々のイメージをまとめて一般的な言葉で表現し、その定義を定め、言葉同士の関係を肯定・否定することで明確な命題にし、それをもとに推論することで、私たちは一連の一般的な因果関係を導き出し、一般的な結論を導き出すことが出来る。これがホッブズの言う「学」である。しかし、言葉をしっかりと定義せず、また定義されていたとしてもその定義をもとに言葉が結び付けられていなければ、私たちには真偽を検証することが出来ず、その結論は単なる意見にとどまらざるを得ない。
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どぶりしゃすめいかー

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スプラではフェスがあるらしいのですが僕はエイリア学園を倒すため世界を救ってきます
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似城也斗(にしろやと

似城也斗(にしろやと

本当は今すぐ会いに行きたい…それくらい、好き本当は今すぐ会いに行きたい…それくらい、好き
逆に聞きたいですが、そう思ったのに行動や言葉で表さないのは何故なんでしょうか?
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shin

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夏目漱石のポジションって、そこそこ歴を積んで成熟している、既成の王政(=天皇制)を廃止して、新たに、民主政治の精神性を、0からプロモーションしなければならないとかいう、メンタル的に地獄みたいな役回りで、そりゃ胃に穴が空くわと思った。(忠義で秩序が成り立ってる社会に暮らしてる人間に、相互干渉の堅牢なシステムの導入を営業するようなもん)
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臼井優

臼井優

着付けと「左進右退」の関係
右前(みぎまえ): 着物は男女ともに、必ず「右前」で着用するのが正しい着付けの基本です。 
 これは、自分から見て右側の衿(下前)を先に体に合わせ、その上から左側の衿(上前)を重ねる着方です。
 左前は「死装束(しにしょうぞく)」として亡くなった方に着せるタブーな着方とされています。
左進右退(さしんたいゆう): これは神道や弓道などの伝統的な作法で用いられる言葉です。

「神様や敬うべき対象に向かって進むときは左足から、下がるとき(退くとき)は右足から」というのが基本的な意味です。

関連性: これら二つの作法は、同じく日本の伝統文化に根ざした「左上位(さじょうい)」という思想に基づいています。古代中国や日本の文化では、左側が右側よりも格が高い、あるいは神聖であると考えられていました。

着物の「右前」も、格が高いとされる左側の衿が外側(上位)になるように重ねるため、この左上位の思想に従っています。

「左進右退」も同様に、神聖な場所や神様に向かう(進む)という重要な動作の第一歩を、格が高いとされる左足から始めることで、敬意を表しているのです。

このように、一見異なる作法に見えますが、どちらも日本の伝統的な「左上位」の価値観を反映したものであり、深い文化的な繋がりがあります。
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ぽㄘゃ

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関東みーん#雰囲気のせてる #学生
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なお

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メガネのはなし

昨日ある男の子がメガネをかけてきた。
初メガネである。
「お、似合ってるやん。賢そうに見えるな。」
「ありがとうございます。でも、賢そう なのではなく、賢い です」
言うよね〜

確かにその教室内の成績優秀者は皆さんメガネ…

いつもいらん事ばかり言っては叱られるお調子者のメガネをかけてないYくん
「僕もメガネかけたら賢くなるかな」
と両手でメガネを作って目に当てる
「ウオオオオアアアア\( 'ω')/アアアアアッッッッ!!!!!
ノート取られへん」
メガネをかけてアフォになるパターンもあったんだ…

するとまた別のKくんがおもむろにメガネを外し
「オレはメガネなし界隈で最強を目指す!」
おっ?!頑張れ!
「ウオオオオアアアア\('ω' )/アアアアアッッッッ!!!!!
黒板が見えん…」
メガネ外してアフォになってるやんw

結論、メガネの有無で賢さが決まるのではありません。

無事に授業は終了しましたとさ
めでたしめでたし
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 私たちの思考は、基本的には個々のイメージの連鎖に過ぎない。しかし、個々のイメージをまとめて一般的な言葉で表現し、その定義を定め、言葉同士の関係を肯定・否定することで明確な命題にし、それをもとに推論することで、私たちは一連の一般的な因果関係を導き出し、一般的な結論を導き出すことが出来る。これがホッブズの言う「学」である。しかし、言葉をしっかりと定義せず、また定義されていたとしてもその定義をもとに言葉が結び付けられていなければ、私たちには真偽を検証することが出来ず、その結論は単なる意見にとどまらざるを得ない。