投稿

𝐇𝐮𝐠𝐢𝐧𝐧
回答数 2>>
とくに「やめてほしい」と感じることは、確かにある
しかし、それを人に求めるという行為そのものが、どうにも窮屈だ
わざわざ私の基準に合わせて相手を調整してもらう必要があるのか――そう思ってしまう
その人はその人のやり方で、これまで何の支障もなく生きてきたはずだ
ただ“私が”不快だという理由で、相手を変えさせるのは、どうにも私のエゴを押し付けているように思えてしまう
だから私は何も言わない
ただ、それでは私のほうが苦しくなる
だからそっと距離を置く
あなたが私のために変わる必要はない
私が離れれば、それで済む話だ
日和見主義、事勿れ主義…その通り
たまに勘違いされるが、私は優しくない
他人に期待するのに疲れたドライな人間だ
私のことを披瀝する相手など居ないよ
その前に、私が貴方の前から去ろう
私ひとり消えたところで、大した影響などないのだから
関連する投稿をみつける

ナトル
回答数 6>>

しおん

あ
なつこ
SUZUME
回答数 9>>
それぞれを
『今』と呼べるとするなら
『自分の中で、
止まった時(過去)
進行している時(現在)
予測(未来)』が
定義になると思います。
この上記の定義から
『時間』とは
個人の意識の中で絶えず生成され、
再構築されている
『経験の流れそのもの』と
言えるのではないかと考えます。
もっとみる 
話題の投稿をみつける

くりぼ
C入場なのにPA裏正面で見れたし、
アフトも出入口のすぐよこで前方の視界良好すぎたし最高でした

はる

りえっ

はちや

なな
多分何かしらの因習村に巻き込まれると思う

ヒ ノ

くまゆ
お前らもう離れるな!!一生一緒に笑ってろ!!
って叫んでる

鶏肉ム
リアタイできないの寂しかったけどアクスタは注文できたので良し

梅雨

でぇち
ライブ中ずっと猫じゃね?猫だよな?いや、あれは猫だ
ってずっと自問自答してた
もっとみる 
関連検索ワード

