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サイダー
だって、「共同体感覚」を推奨し、「課題の分離」という名の責任主体概念を提供し、そういう人間の群れに「それでも人生にイエスと」言えと宣うらしいアドラーは、ニーチェが批判する司牧者の姿そのものだから。
コメント
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よーちゃん
今後の人生で関わらなくても
全く問題のない人たちに
嫌われてもどうでもいいよね!
むしろ出会う人ほとんどそういう人だと思うと
本当にどうでもいいよね!🥳

たいせつ

あみ

気持ちだけはサンリオ

ハズレ!
🥁ドラムすこ
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いお🍣

パイン

壱単位

るーり
7回ロブレスキー最少失点

ゆ〜
村林がこの状態なんだし全然使えた
辰見には悪いけど現状使い道が全くない
#RakutenEagles

🍫のわ

雫月は

アイオ
#戦恋OLG


🌳🌼

す~さ
また次の機会に。
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新一
ニーチェのこととはよく知りませんが、大きな違いはアドラーは「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」を発明したことです 超人を目指すのではなく、自分自身をありのままに受け止め、他者を信頼し、社会に貢献できる人間が、真に強い人だとしています ひとりでは強くなれません 他者との関係で強くなれるものだと思います 少なくともニーチェのように、自分が上手く行かないことを、他人や社会のせいにすることは、アドラーは良しとしませんでした
愛善院
明らかに「良い影響」を継承している部分は多いのですが、アドラーはどちらかといえばナメクジ向きに、ニーチェはどちらかといえば猫向きに、その思想を展開した、というイメージにとらえます。 向いているのが塀の下のほうと、塀の上のほう、という風に見えるのですねぇ。