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青翅 ひぃら
花より桜餅かもしれない


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ꐕハロー鬼ティꐕ


りおな 聞き専◥█̆̈◤
私が先に寝た
彼は私が先に寝てても
ずっと電話繋いでくれてる
私は彼が先に寝たら秒で電話切る


東雲 稚花





ハク

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さとうゆーき
なぜそのテーマに興味が湧いたのか。そのテーマについて知識を得ることで、他のどんな考えに応用できるのか、何が満たされるのか、どんなメリットがあるのか。
知りたいと思ったからには理由があるはずだ。
その理由の根源にあるものが例えば「Aくんがバカであると納得したい」なのか「世襲性というものがいかに非効率的かを証明したい」なのかを明らかにすることで、関連する問題のヒントになる。
ただ、特定の人をバカにしたい…、もしくは、特定の誰かを崇め奉りたい…という目的で何かを調べることがもしあるのならば、僕は本当にそこに労力を費やすべきか疑問だ。
もちろん、自らに起因する見栄や願望、欲望を快感と共に浄化したいという想いは、誰しもが持っていると思う。それを否定するつもりはない。
しかし学問や知識というのは、自分の欲望を満たす目的だけではなく、社会をより良く変え、社会福祉を実現する為に求められるという意味もあると個人的に思う。
自分の調べたことが何を意味するのか。何のために調べるのかを理解した上で労力を割くことは、自分を理解する為にも必要だ。
しかし、今の時代には、全く別の軸が働いていることが多い。例えばテレビ番組は視聴率をとれるかとれないかが重要だ。
視聴率が取れるのならば、
•特定の人をバカにする為に何かを調べること
•特定の誰かを崇め奉る為に何かを調べること
が、むしろ推奨される。
言い換えれば今の世の中は、人の欲望を察知し、その欲望を利用することで利益が出るかが極めて大きな判断基準になっている。
そしてそうした理屈が「市場の論理」という大仰な仮面をつけ、社会全体を我が物顔で世の中を闊歩している。
社会にとっていわゆるエンターテイメントが悪いとは言わない。必要だとは思う。
だけど、そこには他人を傷つけることで得られる爽快感が含まれている可能性がある。それをどう捉えるか。市場の論理という大義名分に隠れ、社会福祉を脅かすことも厭わずに己の欲望だけを満たそうとする人は、多い。
利益を基準に物事が決まってしまう世の中だと思い知らされることが多い。しかし、知識というのは本来、市場の論理という価値判断と対決すべき存在だとも思っている。

☺︎
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KUROおじ
会いたくない~
いなかったら全然いいんだけどね。

もも
付け外し出来るから
思い切ったデザインもチャレンジできる!
見てるだけで幸せ[照れる]


レラ
でも痛そうだし高いし、今のところ大きな害ないから治療するか迷ってる…
抜歯や矯正の経験ある方いませんか??
#質問したら誰かが答えてくれるタグ
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ナオ兄貴。
和菓子の中で、一番好き❤