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さとうゆーき

さとうゆーき

何かを調べる時、それを調べることで何が明らかにされるのかを理解してから調べることは大事だと思う。

なぜそのテーマに興味が湧いたのか。そのテーマについて知識を得ることで、他のどんな考えに応用できるのか、何が満たされるのか、どんなメリットがあるのか。

知りたいと思ったからには理由があるはずだ。
その理由の根源にあるものが例えば「Aくんがバカであると納得したい」なのか「世襲性というものがいかに非効率的かを証明したい」なのかを明らかにすることで、関連する問題のヒントになる。

ただ、特定の人をバカにしたい…、もしくは、特定の誰かを崇め奉りたい…という目的で何かを調べることがもしあるのならば、僕は本当にそこに労力を費やすべきか疑問だ。

もちろん、自らに起因する見栄や願望、欲望を快感と共に浄化したいという想いは、誰しもが持っていると思う。それを否定するつもりはない。

しかし学問や知識というのは、自分の欲望を満たす目的だけではなく、社会をより良く変え、社会福祉を実現する為に求められるという意味もあると個人的に思う。

自分の調べたことが何を意味するのか。何のために調べるのかを理解した上で労力を割くことは、自分を理解する為にも必要だ。

しかし、今の時代には、全く別の軸が働いていることが多い。例えばテレビ番組は視聴率をとれるかとれないかが重要だ。

視聴率が取れるのならば、
•特定の人をバカにする為に何かを調べること
•特定の誰かを崇め奉る為に何かを調べること
が、むしろ推奨される。

言い換えれば今の世の中は、人の欲望を察知し、その欲望を利用することで利益が出るかが極めて大きな判断基準になっている。

そしてそうした理屈が「市場の論理」という大仰な仮面をつけ、社会全体を我が物顔で世の中を闊歩している。

社会にとっていわゆるエンターテイメントが悪いとは言わない。必要だとは思う。
だけど、そこには他人を傷つけることで得られる爽快感が含まれている可能性がある。それをどう捉えるか。市場の論理という大義名分に隠れ、社会福祉を脅かすことも厭わずに己の欲望だけを満たそうとする人は、多い。

利益を基準に物事が決まってしまう世の中だと思い知らされることが多い。しかし、知識というのは本来、市場の論理という価値判断と対決すべき存在だとも思っている。
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コメント

しんじ☃️

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より多くの人に宣伝したいから広告主は広告媒体としてテレビを選ぶ ↓ 視聴率が高い枠で広告を出したい ↓ 視聴率をとるためにターゲットが喜ぶコンテンツを用意することで、視聴率がとれる ↓ 広告主は広告を出してブランディングと販売促進を行い儲かる ↓ テレビ業界も儲かる ↓ 視聴者も喜ぶ という商流があるとすると、エンタメは悪くないし、むしろそれを望んでるのは我々視聴者側なんじゃないすかねー。 法人であれ、個人であれ、個々の利益を得るために真実を調べる、調査するのは根拠を示すためにも必要だと思いますがどうすかね?

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さとうゆーき
さとうゆーき
コメントありがとうございます。投稿にも書きましたが僕もエンタメが必要だと思いますし、そこに善悪があるとは考えていません。視聴者が望んでいるというのもその通りだと考えています。 僕が問題だと思うのは、市場の論理という判断基準によってプロパガンダやヘイトスピーチに近い表現が生まれかねないという点です。
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しんじ☃️

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どんなことにせよ真実を知るために調べる行動に関しての良し悪しはなく、その知識をどうアウトプットするかの個人の問題な気はします! これは私の考えです。

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さとうゆーき
さとうゆーき
人は真実を知るためというか、自分に都合よく解釈しようとする一面もあると思います。 例えばネット上に出回っている根拠のない情報を調べることも知識を得ようとする行動の一つです。
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