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ぐもるく
2012年に発刊された、17歳から80歳までの詩集のなかからお気に入りのみを抜粋した文庫本。
谷川さんの前書きを読むに、編集者が選んだ世間に評判の良い作品と、谷川さん自身が気に入っている作品とのミックスらしい。
難しい言葉をちりばめた若さから、簡単な言葉に移行してゆく様に精神的成長を感じることができる。
様々な文体で表現されてゆくなかで、特に目を引いたのが言葉の意味と意味の間の行間だ。
行間を広げれば広げるほど、読み手が言葉の意味と意味の間の意味を感覚や思考で推察しなければならず、詩を真に完成させるのは読み手側次第ということになる。
世間ではこの一連の行為を促す作品を"芸術的"と評するが、僕はそうは思えない。
谷川さん自身も言っていたが、浮かんできた言葉は感覚や感性でクリエイティブなのだが、それらをそのまま使うわけではなく、クラフトするそうな。
読み手の需要に合わせて行間を調整してゆくなか、広すぎる行間はある意味詐欺の手口で、なんだか分からないものを分かりたいと思うがゆえに、読み手は自身の経験や思想、希望を当てはめ都合良く解釈するので、万人が受け入れる作品の出来上がりとなるのだ。
谷川さんはこのテクニックを需要に合わせて使い分けるのがメチャメチャ旨い。
さすが、「飯を食うために詩を書いてる」と言いきるだけある、馬鹿な客層を味方につけることに巧みだ。
読み進めるうちに気になる詩をみつけた。
10歳の頃に僕が書いた詩に対するアンサーにあたるような詩。
まさかと思い、その詩が記載された書籍の発刊時期を調べると・・ちょうど僕が10歳の時。
あの先生が渡してきた詩集だ。
書評には"全編ひらがなで書かれた大人の為の詩集"とある。
迷わず購入、大人になった僕から眺め、10歳当時の自身はこんなだったなと感じられる詩があった。
当時読んでも同じ様に感じただろうか。
僕の為に書かれた詩ではないのにそう思えるのは、僕自身も馬鹿であることに他ならないが、詩はそうやって楽しむものだよねと、開いた口も乾かぬうちに馬鹿を肯定してみせる。
映画とは違うのだ。
自身の肯定を欲するなら、映画より詩の方が良いんじゃないかなと思った。
この詩を肯定に感じてはいないけれど。
荒廃した少年の頃の胸の内。
あんれまあ、文字数。
#谷川俊太郎

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マジに愛の力でどうにかなりそうだぞこれ。

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