ここで今わかることは、主は神性の面ではなく、人間性の面で苦難を味わわれ、それでもっとも奥深いところで、完全な一致合体が行われたということです。人間も肉体で苦しむとき、魂は「苦しむ」のでなく、ただ「悲しむ」ということからも、説明できるでしょう。