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y.y
兄は急遽飛行機で帰省してくれた。
診断は、脳腫瘍いわゆる悪性リンパ腫だった。
このまま知らずに居たら8週間の命だと言われそれぐらい深刻だった。腫瘍は脳の深いとこに出来てるから取り除く事は出来ない…治療して余命は3、4年と言われました。明日、5円玉ぐらい穴を脳に開けて病理検査し今後の治療方針を決める為今日急遽入院してきました。まだあんな元気な母なのに信じられなくて…これから何ヶ月も入院…コロナで面会が出来ないから会いに行けないのに辛い治療が待ってると思うと毎晩、いや日中もふとした瞬間に涙が出てきて毎日泣いてる状態です。心の整理がつかない。。。
昨日は家族全員揃って楽しい食卓を囲み明るく過ごすことに徹し、今日病院に送りに行ってきました。
長々読んでくれた方ありがとございました。
#ひとりごとのようなもの
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足の指がふやけてヤバいことになりそう。

せいや

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アドルフヒの影響は何か?
アドルフ・ヒトラーの影響は多岐にわたります。以下に主な点を挙げます。
政治的影響
ナチス政権の確立: ヒトラーは1933年にドイツの首相に就任し、ナチス党の独裁体制を確立しました。これにより、全体主義的な政治が強化され、反対派の弾圧が行われました。
第二次世界大戦の引き金: ヒトラーの侵略政策は、1939年のポーランド侵攻を引き金に第二次世界大戦を引き起こしました。この戦争は世界中に大きな影響を及ぼしました。
社会的影響
人種差別とホロコースト: ヒトラーはアーリア人種の優越性を主張し、ユダヤ人やその他の少数民族に対する迫害を行いました。これにより、600万人以上のユダヤ人が命を奪われるホロコーストが発生しました。
国民の意識変革: ヒトラーのプロパガンダは、ドイツ国民の意識を変え、国家主義や軍国主義を強化しました。
経済的影響
経済政策: ヒトラーは公共事業や軍需産業の拡大を通じて、失業率を低下させ、経済を一時的に回復させました。しかし、これは戦争準備の一環であり、持続可能な経済成長ではありませんでした。
文化的影響
芸術と文化の統制: ナチス政権下では、特定の芸術や文化が抑圧され、プロパガンダに適した作品のみが奨励されました。これにより、文化的多様性が損なわれました。
アドルフ・ヒトラーの影響は、政治、社会、経済、文化の各分野において深刻かつ長期的な結果をもたらしました。彼の行動と思想は、現代においても多くの議論を呼び起こしています。

さばち

由美
アドルフヒの生涯を知りたい
アドルフ・ヒトラーの生涯について以下にまとめます。
初期の生涯
生年月日: 1889年4月20日
出生地: オーストリアのブラウナウ・アム・イン
家族: 父は関税職員、母は家庭の主婦。幼少期は厳格な家庭環境で育つ。
青年期
ウィーン時代: 1907年から1913年までウィーンに住む。美術学校への入学を試みるが失敗。
政治的影響: ウィーンでの生活を通じて反ユダヤ主義や民族主義的な思想に影響を受ける。
第一次世界大戦
軍務: 1914年にドイツ軍に入隊。戦争中は勇敢な行動で勲章を受ける。
戦後の混乱: 戦争の終結後、ドイツの敗北とヴェルサイユ条約に失望し、政治活動に目覚める。
政治活動
ナチス党の結成: 1920年にドイツ労働者党(後のナチス党)に参加し、党の指導者となる。
クーデター未遂: 1923年、ミュンヘン一揆を試みるが失敗し、投獄される。この期間に『我が闘争』を執筆。
権力掌握
政権獲得: 1933年に首相に就任し、独裁体制を確立。反対派を弾圧し、全体主義的な国家を築く。
経済政策: 大規模な公共事業や再軍備を進め、経済を回復させる。
第二次世界大戦
侵略戦争: 1939年にポーランドに侵攻し、戦争を引き起こす。続いてフランス、ソ連などを攻撃。
ホロコースト: ユダヤ人やその他の少数民族に対する大規模な迫害と虐殺を実施。
最期
敗戦: 1945年、連合国によるドイツの敗北が確定的になる。
自殺: 1945年4月30日、ベルリンの地下壕で自殺。死後、遺体は焼かれる。
アドルフ・ヒトラーは20世紀の歴史において最も悪名高い指導者の一人であり、彼の行動は世界に深刻な影響を与えました。

治《珠
#短歌

さばち
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ポテ子🍟
病気を見つけてあげられて良かったですね。病院へ行ってなかったら突然のお別れになってしまった可能性があったわけですから。どんな結果であれ、私は前向きな入院だと思います。 私も最近母が突然危篤になり別れを覚悟したばかりです。医師も驚くほど奇跡的に回復しましたが、常に最悪を考えていたので、今を喜び感謝できてます。コロナ禍ではありましたが色紙や写真を渡したり、遠目で手を振ることができたり、スマホを持ち込んで看護師さんがビデオ通話にしてくれたこともありました。本当に特例だと思いますが、看護師さんも家族と会わせてあげたいと強く思っているそうです。どうか全力で支えてあげてくださいね。
Lisa🐈
私も父が肺癌が末期の状態で発覚し、治療を頑張っても5年は生きられない状態でした…私も数年以内に父が亡くなってしまうという事実を受け止められずに、どのくらい父は生きられるのだろう?と、毎日泣いていました。 y.yさん、とてもお辛いと思います。私は飛行機の距離だったので、なるべく実家に帰って、家族での食卓や暮らしを噛み締めました。 どうか家族のいつも通りの幸せをお母様と過ごされて下さい。
マサマサ🐬
yちん大変なことになってるね。。 余命宣告されるレベルってことはほんとに進みすぎてるんだろうな。。 もっと早くにって後悔してもしきれないかもしれんけども、まだ3,4年は残されてるから1日ずつ大事にしていくしかないね。。。
✨あんず🌙*゚
通りすがりでコメント失礼します まさにうちの母と同じでびっくりしました。うちはまだ病院に連れて行けなくて心配なんですが本人が頑なに嫌がって怒るんですよね 私も入院してるのでつれてけないし。 でもy.yさんの投稿をみてなるべく早く病院に行ってもらえるように説得します 貴重なお話をありがとうございます!
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あまり連絡のない叔父さんからいきなり連絡があり出てみたら「大腸癌の末期で全身に癌があってもう長くない」と言われました。 昔からよくしてくれて動けない母のためにコロナ禍でしたが特別で面会し、電話が来た2週間後に亡くなりました。 大腸癌と判明してから2ヶ月だったそうです。 私の娘や旦那に凄く会いたがってましたが写真しか見せられず会わせてあげられる事が出来ず悔やんでいます。 私の娘の写真は亡くなる前までずっと眺めていたそうです。 テレビ電話やお手紙、写真などは大丈夫だと思うのでたくさん渡してあげてください。きっと励みになります。