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柚𐂂
って親に言われて小学校に上がってすぐ、児童書や絵本はあまり読まなくなった
ううん、正確に言うとこっそり読んでたけど堂々と読めないからなかなか読み進める機会がなかった
だから私がそういった書籍と触れていたのは主に小学校に上がる前、幼稚園のころということになる
そんな小さいころに「作者」という概念なんて理解できなかった
自分の大好きな世界を誰かがつくっているなんて想像できなかった
ほんとうにどこかに存在しているように感じていたから
そしてもちろん、シリーズというのも理解できなかった
当時読んでいた本全てが同じ世界のもののように感じていたから
幼児の理解力なんてそんなものなのだ
だから当時好きな作品はあってもそれを誰が書いているのかは知らなかったし作者やシリーズで本を選ぶこともなかった
児童書が今でも好き、というひとの多くは小学校の中学年以降に主に読んでいたというひとが多い
その歳になれば「作者」が現実とは違う世界をかいたものが「作品」であると理解できるし、それぞれの作品が別の世界のできごとをかいていることもきちんと把握できる
だからまわりの児童書好きはみんな作家やシリーズで語るのよ
〇〇さんの作品が好き、このひとの作品はこんな特徴があるね、このシリーズが好きだった、これのスピンオフもいいね、といった具合に
私は児童書が好きとはいえどその話についていけない
読書量だけは桁外れていたからみんなが読んでいた作品も内容を聞けば読んでいたなぁと思い出すことはある
だけど、この作家だからこういう作品なのだ、とか、そのシリーズが何作あってどんな結末を迎えたのか、なんてことはわからないのだ
みんなは熱く本について語る。作者について語る。シリーズについて語る。果ては装丁、出版社についても
まるで知識量がそっくりそのまま「好き」の度合いの証明であるかのように
どの本も私にとっては大切な記憶
大好きで大好きで、どの本もきっと今も私の感性を象っている
だけどその本たちに対しての「知識」はない
私の「好き」がほかのひとたちに劣っているなんてことは思わない、いやむしろ私の「好き」のほうが大きいのではないかと思うときもある
それでもそれを語れないのだ、証明できないのだ、プレゼンテーションできないのだ
それがとても悔しい
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柚𐂂 投稿者
途中文章おかしいので恥じ入っている
柚𐂂 投稿者
長文失礼しました ほぼ1000字でした
ちゃいろ🤎
ジャンルは違えど、どの界隈にもいると思います。知識量=覚えた名前の多さ=熱量だと思って語る人。私は個人的にあまり好きじゃないな。 作品に対しての感情ってはっきり言語化できるものばかりではないので、柚さんの感性そのままを大切にし続けていいのではないかと思います。同じジャンルで見つかるかはわかりませんが、同じ様な感覚的な感性の方とは出会えるかもしれません。
透明人間
子供の時に言語化出来なくても大人になってから言語化出来るようになるモンなんじゃないですか? 子供の時に作者やシリーズと言った枠組みを気にした事無かったとしても大人になったらググって確かめられるんだし、それをベースに改めて自分の中で情報整理して大人になってからでも、まとめて喋れるようになるのでは? それをせずに「喋れない」は正直よく分からないなというのが率直な感想です 勿論それが出来ない事が駄目とは言わないけど悔しいとか歯痒い想いをしてるなら全然今からでも巻き返せるのでは?って感想です これだけ長文記載出来るなら、それだけ言語化出来る能力は持ち合わせてると思うし無理な話では無いと思いますよ[照れ
蘇我霊幻道師准尉
証明するのは難しい。証明というのは他の人のルールに従う事であり既成概念と価値観からでしか精査されない共通意識だから。 ここで千字で表したものが貴方の好きな想いでしょうしそして意地だ。好きなものを素直に好きでいるだけでも良い。大切にしたい大切な気持ちがあるだけ良いじゃないか。