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太郎
その背凭れの高いプラチナの玉座は人知れず壊れてしまっていた。表面的にはおだやかな面持ちの王はいつからか独裁者に変貌していた。灰色の芝生は丈高く伸びて言葉を狂わせた。黄金の鬣をした野生馬たちを引き連れた新しい王が撃ち殺されたあとすべての言葉は灰燼に帰した。
言葉の王は襤褸の黒い衣を重ね着して舌をもつらせた。言葉という約束は行為に騙されすぎていた。信徒を失ってしまった、その王は大声で何かを叫んだがすべては暴風のなかに消された。
言葉の王の庭を人びとは華やかな孤島とうわさした。失われた言葉たちへの信仰はいま壊れた玉座として、この世の悲惨をごまかす頽落と化した。その玉座はそれを継ぐ盲目の佞臣たちがいたずらに操り、この国の言葉たちは腐ったまま死んだ。

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過去一の自信作です✨
#10代


コーユー
回答数 15>>
だから、世に出なくても、創った本人が感じ取れればそれは芸術なんだと思います。観測される範囲は“人が感じられるところまで”でよくて、その意味では「存在すること」は必要だと思っています。
多くの芸術が絵や音楽、言葉として形に残るのは、感性を感じるための入口が必要だから。
なお、正解や真実を追うのが学問、感性を探るのが芸術。私は文学はその両方をまたぐ面白い領域だなと感じています。
この芸術と学問の対比から、芸術が少し浮き彫りになるのではないでしょうか?

あい

@2c
やってる風な感じだけ見せればいい
と
クソったれ政治家が好んでつかう言葉。。。
そんな輩は
そんな気ないくせに
『命をかけて』ってのも好んでつかう。。。
φ(..)
嘘ピョン (Deep House ver.)

な



おにぎり

しゅう
「万歳」(ばんざい)という言葉は
元々 江戸時代末期頃までは
一切 日本には無かった言葉らしい
でも 「江戸→明治」に入る頃に
「天皇に呼びかける言葉」が無いので
「万歳」(ばんざい)という言葉を
使うようになったらしい
「万歳」(マンセー)という言葉は
そもそも 「韓国・朝鮮」に
元々ある言葉であり
それが「日本」に入って来たらしい
選挙で「当選した人」が
選挙事務所などで「万歳三唱」をするのは
ある意味
「韓国・朝鮮由来の万歳(マンセー)」を
声高らかにあげて 喜んでるみたいで
正直 少し気持ち悪く感じる部分もあるお話
「万歳」(ばんざい)が
「日本で使われるようになった背景」を知ると
正直「万歳三唱」とか 気持ち悪い件
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